日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

夢の話 第312夜 怨霊病棟2

何やら前夜の夢が予告編みたいな感じだったのですが、翌日も続きになっていました。
このパターンでは、暫らくの間、寝る度に「夢の続き」を見ることになると思います。

病院の廊下で、オレは片膝を床に着いた。
頭の中に言葉が湧いてくる。
「臨」
続きはもちろん、「兵闘者皆陣裂在前」だ。
「しかし、こんな火急の時に、のんきに九字を切って、間に合うものなのか」
しかし、殺されるよりはましだ。
オレは九回、この九字を切った。

オレの頭の中には黒板が浮かんでいる。
「こうしろ」という指示がある時は、いつもこの黒板が現れる。
九字の次に出て来たのは、「観」という大きな文字だった。
「般若心経だな」

「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時」
スラスラと出て来る。
夢の中では珍しい。
(ここは夢の中でも、「今、夢を観ている」という自覚がある。)
起きている時はこの2百幾らかの文字数を思い出すのは簡単だ。しかし、夢の中ではまったく思い出せなくなる。
昔は「唱えさせないような力が働いている」と思っていたことがあるが、何のことはなく、寝ているので頭がよく働かないためだ。

「しかし、まじないやお経でこの事態を回避出来るのか」
呪い文は、相手に働きかけていると思っている人が多いが、効果を生じさせているのは、唱えている者自身に対してだ。心を強くし、邪念が入り込むのを防ぐためだ。
このため、こういう破魔の呪いは、信仰の違いを超えて用いられる。
般若心経なら、神道でも使われることがある。
お経の持つ意味と効果に、相通じるものがあるためだ。

悪霊は人の心に入り込む。
だから、心の中に入って来られなくすれば、影響力はどんどん小さくなるのだ。
何度も繰り返しているうちに、体が楽になって来る。
暫らくすると、足に力が入るようになって来た。
立ち上がって、隣を見ると、医師が倒れていた。

「先生。しっかりして」
医師の胸に手を当てて、また最初から破魔の呪いを始める。
5度目に医師が目を開いた。
「先生。オレが言う言葉をそのまま繰り返して声に出してくれ。そうすれば重しは取れる」
実際には、効果があるかどうかはその人次第だが、まあ、そう思ってくれないと始まらない。
九字は韻、すなわち音が重要なので、まずは声に出して唱えさせる必要がある。
般若心経の方は、意味を理解する必要があるため、この医師には役に立たない。
信じない者が唱えても、働きかけるのは自分に対してなので、まったく通用しないのだ。

何度繰り返したか分からないが、この先生も意識を取り戻した。
「大丈夫か」
見たところ、オレと同じくらいの年恰好だし、これからはタメ口でも大丈夫だよな。
「ああ。大丈夫。起きられる」
2人で立ち上がる。

回りを見渡すと、暗く寂しかった病棟が、ごく普通の病院の様子に戻っている。
廊下の向こうで、人が動く音が聞こえ始めた。

(続く)

外出する時間なので、中断します。