日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

安楽死・尊厳死の話

先日、86歳の父親と話をした内容です。

まずは私の意見から。
「なぜ安楽死を許さないのか、オレは不思議でたまらない」
私も父も、いつ死んでもおかしくないくらいの、結構、重い持病があります。

私の言わんとするところは次の点です。
病気の快復が見込めない人は、自然に死ぬまでただ苦しむだけ。
苦痛回避のためにモルヒネを打ち続けて、意識がほとんど無い状態で死ぬのを待っていなくてはならない(ここはあくまで自分が、という文脈です)。

高齢者になると、色んな病気に罹る。
病気が重くなり先の見込みが無くなると、「死んだ方が楽」なこともある。
現に、高齢者が自殺する理由の第1は「病気を苦にして」だ。
自分で死ねる人はまだ幸いで、体が動かなくなったり、思考が十分に働くなったりすると、それも出来なくなる。
なら、少なくとも自分で意思を決められ、第三者が本人の意思だと確認出来るうちに、安楽死(または尊厳死)を認めても良いのではないか。

もちろん、一度認可されるとこれが悪用される可能性はあります。
意識を失った患者の家族が、勝手に患者を死なせてしまう。
相続や保険がからめば、簡単に起きてしまいそうな事態です。
「だからこそ、自分で決められる内の問題になるのでは」
例えば、本人の意思の確認を三か月置きに3回行う、とか、あくまで自由意志であることが確認出来る場合に限るといった対処が必要になりそう。

私自身については、「首を吊ったり、ビルから飛び降りるよりは、麻薬を過剰投与して貰って死に至る方がありがたい」と思います。
家族の負担も、国民医療費も、かなり減りますし。

「だが、それには大きな問題がある」と父が言います。
前にも議論しましたので、父の言わんとするところは分かっています。
ここからが、この書き込みの本題です。
「人が『死んでも構わない』と言うのは、健康で死の不安がない若いうちだけ。実際に病気になり、目の前に死が見えて来ると、その途端に死ぬのが怖くなるし、死にたくなくなる」

父も私も持病を抱えていますが、「本人が次第に死にたくなくなる」という意見は本当だと思います。
「あと半年1年は生きていたい。そうすれば、色んなことを締め括れる」と思うのですが、半年後、1年後が来ても同じことを感じることでしょう。