日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(日高・飯能) 高麗神社78日目の参拝(残り22日)

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このところ、あまりに夢見が悪いので、四苦八苦しています。
眠りに就くと、すぐに悪夢が始まり、延々とそれが続きます。
どうしたもんかと考えていました。

ヒントが出たのは、つい昨日です。
妻と2人で出掛けたのですが、妻は車に乗るなり、「何だか霊がついような気がする。やたら肩が凝る」と言いました。
そう言えば、ダンナの方は日に何度も女の影を見ます。
ひっそりと眼だ立つところに立って、こっちを見ているのです。

また、神社に参拝する時に、デジカメが幾度も誤作動をします。
こういった音や電子機器の異常は、分かりやすい「お知らせ」です。
「そっかあ。最近は参拝にも慣れて来て、おざなりになっていたのかも」
鳥居の下では、向こうもじたばたするわけですよ。

ちなみに、妻の第六感は本物なので、夫婦でその分野の話は避けるようにしています。
本物の霊感に、いざスイッチが入ると、まず最初に言われるのは「あなたはいつ死ぬか」です。
そんなものを聞きたい人はいません。
しかし、そこが前提で、そこに至る生き方をどうすれば、この先がましになるかという話し方になるのです。

「コイツは本当にヤバいヤツだ」と思ったのは、その日が初対面の人に会った直後、「あの人、近々に亡くなるかもしれないよ」と漏らした時のことです。
まだ若くて、血色が良い相手です。
しかし、3か月くらいして、本当にその人が亡くなった時にはさすがにびっくりしました。
そう言えば、本物の占い師や霊感師は、必ず「殺される」という末路を辿ります。
自分の将来については、明るい話を聞きたいわけで、「半年後に死ぬ」なら、殆どの人が怒ります。
(だったら、「訊くなよな」ですが。)

そう考えると、何かにつけて「死んだお祖父さん」を持ち出すような、占い師やスピリチュアル・カウンセラーなんて、本当に可愛いものです。
ほとんど見えていないから、ああいう想像が語れるのです。

と言うわけで、「あんたは程なく死ぬ」と言われるのは嫌なので、その話をすることはありません。
他人に訊かれても、「さあ知らない」と答えるか、スルーすることに取り決めています。
まあ、スイッチが入ることはそんなに無い筈なので、話題にさえしなければ大丈夫でしょ。

というわけで、慌てて参拝に行きました。
もちろん、最初から心を込めて祈願します。
「お詣りしたから、すっと無くなる」なんて甘いことは、もちろんありません。
お守りやお札は、信仰心が無い限り、ただの木や紙に過ぎません。
しかし、原因が分かり、それにどう対処するかが見えてくれば、立ち向かうことが出来るということです。
もちろん、第六感や霊感なんて、ただの妄想か、ほとんど想像なわけですが、現状を改善できるのであれば、どういう解釈でもOKですよ。
球種やコースはどうでも、アウトが取れさえすれば、ピッチャーとしては成功でしょう。

境内で「いつもの猫」を探しましたが、今日はいませんでした。
気温が低く、日射しも無かったからだろうと思います。
妻には一切寄らず、ダンナばかりを目指して駆け寄って来る猫を見ていると、自然と愛着がわきます。
このため、いつも煮干しやら、スーパーでは売っていないキャットフーズを携帯するようになりました。
ま、猫が愛想良くするのは、オレだけじゃないのはよく分かっています。
そこはキャバクラと同じです(笑)。

他にも猫が出入りしているのに、「その猫」じゃないと心が満たされなくなってます。
相手が人間なら、まさに恋心に近い状態です。
でも、やっぱりあの猫の愛想は、オレに対してだけじゃないんだよな(さらに笑)。