日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

昨日のおわび  (107)

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昨日は、鳥居の外とはいえ、神社の近くで悪心を抱いてしまいました。
「いつもの猫」から餌を横取りする野良猫とか、カラスに対し、憎しみを抱いたのです。
これは神社では禁忌事項です。
なぜダメかは、「祈願」は「呪い」と同根なので、悪心は何らかの反応をもたらす場合があるということです。

「こりゃ不味かったな」と反省していると、土曜出勤していた家人から電話がありました。
「駅まで迎えに来て。その後で、神社に行ってよ。最近お参りしていないから」
こりゃ、「渡りに船」というヤツです。

高麗神社の駐車場に入ると、いつも通り猫が待っていました。
今日は「冷ましミルク」を持っていたので、トレイで飲ませました。
ちなみに、しばらく前に、ドラッグストアで、500ミリ800円の高級猫ミルクを手に取ったら、家人がじっと見ていたので、牛乳を一旦温めて、常温に戻したミルクを準備することにしたのです。
乳糖は熱で簡単に分解できたはずですが・・・。

神殿には、「昨日は頭の中で悪態を念じてすいません」と謝って来ました。
なんだか、わけが分かりません。

もう少し経つと、あの猫はふっつりと姿を見せなくなるという予感がしています。
その辺が、動物嫌いの者でも、放置できない理由なのだろうと思います。

私の最大の危機は今年の1~3月で、心臓がいまにも止まりそうなくらいビクビク震えていたのですが、百日達成の頃から幾分静まって来ました。
今は「もう少し時間が貰えたのだな」と感じます。
こういう経緯のせいで、人や動物に限らず、「生き死に」には敏感になっている気がします。

この猫を見るのを続けているのは、「ドラマが書けそうだという実感があるから」ということも理由の1つです。しかし、ふっつりと姿が見えなくなり、「ああ。死んだな」と悟る時が来るのは寂しい気がします。
まあ、致し方ありません。