日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(日高・飯能) 家人の初詣 (211)

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 家人が「初詣に行きたい」と言うので、日頃お世話になっている名栗の鳥居観音と、日高の高麗神社にお詣りに行きました。

 鳥居観音は、入り口に鳥居がありますが、やはり観音様なので、比較的お客さんが少なめでした。
 観音様に清水を掛け、体のあちこちの治癒を念じました。

 高麗神社はさすがこの地域最大の神社で、4日になっても参拝客がぎっしりです。
 渋滞は元日ほどではありませんが、数百辰亙造嵒要があります。

 周辺の氏子さんの家で、庭を駐車スペースに開放していますので、これから行かれる方は手前の木札を見て「高麗神社臨時駐車場」と書かれていたら、そこに停めるとよろしいです。
 料金は無料ですので、安心して停められます。

 境内には屋台も沢山出ていました。
 いつもの焼きそば屋を探したのですが、あのオヤジさんは見つからず。
 「あのオヤジでなければ味が3枚落ちるだろ」
 一応、買ってみましたが、やはり予想通り。
 豚の脂の切れっぱしと、天かすだけでも、味が全然変わるのに。
 「客にどう出すか」だけでなく、「客がどう思って食べるか」を考えれば、提供できるサービスの質はがらっと変わります。
 あのオヤジさんが来た時には、15人、20人が並んで買います。
 回転が速いので、一層美味しい。一度食べた客がまた来て買う、とプラスに回ります。
 不味けりゃ、足が遅くなり、半渇きのものを客に出す羽目になってしまいます。
 客は、その屋台の主の顔を憶えて、次はその人以外の屋台を選んで買うようになってしまいますね。

 全部、自分に跳ね返ります。
 読んでも貰うべき人を想定し、これでもかと繰り出す心構えが肝心だろうと思います。
 焼きそばと少し事情が違うのは、皆が良いと思うものでなく、伝えたい人を選んでメッセージを送るところくらいです。