日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎岩手の伝説(3) 甚平衛坂 (『姫神物語』)

◎岩手の伝説(3) 甚平衛坂 (『姫神物語』) 
 甚平衛坂は奥州道中(概ね4号線)を盛岡から北上し、渋民の宿を過ぎ、馬場を越えたところにあります。
 画像がありませんが、車を停めるスペースが無いためで、次回行った時に撮って来ようと思います。
 この坂の伝説はこれ。

 ◆甚平衛坂の由来
 甚平衛坂の下(左)は、北上川の淵になっていた。
 この坂に、甚平衛が茶店を開いていたので、「甚平衛坂」と呼ばれたものである。
 ある時、店の小銭を狙った強盗により甚平衛は川淵に沈められたので、村人が坂に供養のための石碑を建てた。

 昭和30年代に道が深く切り崩され、それ以来、この坂はなだらかになった模様です。
 左右に残る崖の上は、小さな畑となっていますが、その畑の隅に、実際に石塔が置かれていました。
 この地の小学生たちは「甚平衛は川に落ちて死んだ」と聞かされたのですが、残酷な話だったからでしょう。

 私の実家は坂の上で、商店を営んでいたのですが、「権太茶屋」と呼ばれていました。
 「茶屋ではないのに何故?」と思ったものですが、甚平衛が茶屋を営んでいたので、その名残だろうと思います。
 この近くの北上川は、流れが速かったり、淀みが深かったりで、釣り人が溺れる事故が時々起きます。小学時代の同級生も一人亡くなりました。

 小学生の頃は、坂の上から坂下の小学校に通いましたが、雪の多い年には竹スキーで行きました。マイナス20度くらいは普通の頃なので、ゴム長では寒くて寒くて。
 両足とも霜焼けだらけになりました。
 そのせいで、他人が「スキー場にスキーをしに行く」話を聞くと、「バカか」と思ってしまいます。
 「雪の怖ろしさを知らねえのか」
 それが顔にも出てしまうので、さらに知り合いが減ります(大笑)。

 古い地名には、その地にまつわる伝説が反映されているものが多いわけですが、努めて記録を残さないと、徐々に消えていってしまいます。
 きちんと語り伝えることが大切だろうと思います。