◎夢の話 第630夜 お願い
13日の午前5時に観た夢です。
瞼を開くと、霧の中に立っていた。
「ここは何処なんだろうな」
しかも、それだけでなく、自分が誰かも分からない。
霧の向こう側は暗がりで、自分の周りだけうっすらと明るい。
「オレだけに灯りが当たっているのか」
上を向くが、光源が見当たらない。
目の前の霧が揺れ、人が姿を現した。
顔を見せたのは女で、20歳台の半ばから30歳くらいの年恰好だった。
表情が明るい。
「よかった。ようやく人に会えました」
女は上品な着物を着て、髪をきちんと結っていた。
オレが黙っていると、女が言葉を続ける。
「貴方さまにお願いがあります」
ドキッとする。こういう場面は何度か経験しているが、あまり良い思いをしたことが無いからだ。
「郡山の桜町に行って来てくれませんか」
悲しいかな、そのひと言で、女がオレに望んでいることが分かってしまう。
「郡山とは、福島の郡山ではなく、この県の紫波町のことだ。明治のご一新の前には、高水寺一帯をそう呼んでいたからな。だが桜町という呼び名はその頃には無く、明治に入ってからその名がついた。すなわち、あんたは明治中期のひとだということだ」
で、明治の終わりか、大正の初めには死んでいる。
「あんたの願いは、おそらく、そこに自分の家があるから、そこに行って、親御さんたちに私はここにいると伝えてくれというものだ」
オレの言葉を聞いて、女が俯く。その通りだったらしい。
「でも、それは出来ない相談だ。だって、あんたの親御さんは、もうそこにはいない。亡くなっているからな。お墓に行って、報告しようにも、そのお墓が何処にあるかも判らない。もはや出来ないことなんだよ」
その途端に、女の表情が曇る。
「そうなんですか」
おそらく、この女は旅の途中で病気になるか、災難に遭って死んだ。
急死したので、「親に会いたい」という念が残ってしまったのだ。
それ以来、この女はずっとこの霧の中にいる。
「あなたはこの霧を出て、本来行くべきところに向かうべきだ。そうすれば、今の苦しみや不安からは解放される。明るい光が見える方に進んでいけば良いのだよ」
すると、女が首を振った。
「今のわたしには何も見えません。貴方さまが見えましたので、初めて近付くことが出来たのです」
「貴方しか見えない」と言ってくれるのは嬉しいが、それもその女が生身の人間だった時の話だ。幽霊ではまるで話が違う。
オレは少しの間考えたが、腹を括った。
「このまま放置して、あんたに付きまとわれても困る。仕方ない。オレに掴まれ。オレはしょっちゅう神社やお寺に行っているから、そのどこかで必ず光が見える。見えたら、オレから離れ、そっちへ行くと良い。もちろん、猶予の期間はほんの少しだ」
女の顔がパッと明るくなる。それと同時に、霧が少し晴れた。
やはりこの霧は、この女自身が作り出したものなんだな。
「お礼は何をすればよいのでしょうか」
「そんなものはいらない。オレの必要なものをあんたは持っていないしな。それに、オレは誰かに何かを『くれ』と言ったことが一度も無い。親に『小遣いをくれ』と言ったことすら生涯一度も無い。だから、そう言われても思いつかない。だが、もちろん、『ひとつ貸し』だからな」
「はい」
これはただの言葉だ。この女が彼岸に渡れば、もはやオレには関われなくなってしまうからだ。貸しを取り立てることは出来ないが、それはそれで良い。
契約には義務が伴うものだ。その点は、この世もあの世も甘くは無い。
「どうも有難う。けして忘れません」
お礼の言葉を言い置くと、女の姿はふっと消えた。
オレはそのまま霧の中に立ち、女の言葉を考えた。
郡山の桜町に行くべきかどうかということだ。
たぶん、オレの見込んだとおり、何ひとつ分からないだろうが、しかし、どうせなら行って見るべきなのか。
オレはその場に佇んで思案する。
ここで覚醒。
目が覚めると、肩甲骨の下辺りが、酷く重くなっています。
「ああ。夢の女か」と思ってしまいます。
画像に現われる幽界の住人は、表情が暗くて、おどろおどろしい雰囲気ですが、それは媒体がなせるもので、実際はそうでもないのではないかと思います。
あの世にまつわる話は、人がとかく怪談に仕立てたがるわけですが、実はそれほど恐ろしいものでもないように感じます。