日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎障害者に向き合う

◎障害者に向き合う
 病院を出て駐車場に行くと、精算機の前に車椅子の男性がいました。
 まだ若く40台後半くらいです。
 その男性が機械の前でじっとして、動きません。
 何やらどこかに電話を掛ける模様です。
 「使い方が分からないのだな」
 ここの病院の精算機は扱いがちょっと面倒で、初めての人はまごまごします。
 これまで十回以上は使い方を新規の患者さんに教えています。

 「どうしました?」
 「操作が分からないのですよ」
 駐車スペースの番号を聞き、バーコード駐車券を機械に読み取らせました。
 すると、デジタルの表示が出る筈なのですが、ちょうど西日に当たって、ほとんど見えません。
 しかもその表示は、数秒で変わってしまいました。
 ここで電話が繋がったのですが、相手は「ラチがあかぬ」と思ったのか、機械のところまで出て来ました。
 何のことはなく、最初の操作で精算が終わっており、このため、表示が速く切り替わったというものでした。

 本題はここから。
 自分の車に行くと、その斜め向かい側が車椅子の男性の車です。
 男性は自分で運転して病院に来たらしく、ひとりで乗り込もうとしています。
 「手助けした方がいいのか」
 車から出掛かりますが、そこで止まりました。
 「オレならどうするだろう」
 逆の立場だった時のことを想像しました。
 まあ、こう言いますね。
 「ありがとう。でも大丈夫ですよ」
 これは、よほど機嫌が良い時の話です。
 「あ。結構です。ひとりで出来ますから」
 これは平静な時。
 しかし、私にありがちなのは「何かに腹を立てている時」の対応です。
 「助けてくれなんて言ってない」
 せっかく手助けしてくれようというのに、こんな調子では、声を掛けた方も腹を立てます。
 電車でも「席を譲ります」と言われ、「俺を年寄り扱いするのか」と怒鳴る人が現実にいるわけです。

 「このオヤジ。腹を立てたりしないよな」
 あやしい。さっき、精算機の前でだって、礼を言わなかった。
 こいつの態度が悪く、私が腹を立てたりしたら、車椅子を蹴ってしまうかも。
 ま、こっちだって障害者だ。外見では分からないけどね。
 とまあ、トラブルを用意してしまいます。

 そこで冷静に状況を見ることにしました。
 男性は独りで病院に来ています。車は大型乗用車で、セルシオあたりより一回り大きい。
 これは、どこかが悪くなって、まだ日が浅いということ。
 病院の駐車場は中型でも厳しいくらいキチキチです。病歴が長くなれば、車を小さいのに買い替えます。高齢者なら軽自動車を使いますね。
 病気の高齢者が大型車で通院すれば、周囲の車は傷だらけになってしまいます。

 さらに自ら運転して来ているということは、足はソコソコ動く。
 「なるほど。どこか怪我をしたのだな」
 ギプスは見えませんでしたが、スポーツか何かで足を怪我したのでしょうか。
 それでも、運転席に乗り込んだり、車椅子をたたむくらいのことは「出来る」ということです。
 「それなら、オレなら間違いなく、『手助けは要りません』と言うだろうな」
 ここで安心して駐車場の外に出ました。
 ちなみに、くれぐれも自身に障害のある当事者ですので、念のため。

 ああ面倒臭い。相手が何を思うかをソコソコ知っているので、余計に考えることが増えてしまいます。
 他の人の境遇や心持を理解したり、共感したりしない方が、ある意味よほど暮しやすい。
 それなら、杓子定規に「いつも決まったやり方」で対応する方がはるかに楽です。
 すなわち、障害者を見掛けたら、すぐに「何かお手伝いしますか」と笑顔で言う。
 あるいは、「大丈夫なのか」と心配している振りをして通り過ぎる。
 その2通りです。
 ま、世間で一番多いのは、後ろの対応の仕方ですね。
 そういう人って、「障害者のために」とか、「困っている人のために」とかを、好んで口で言いそうです。世間に向けて言うことと、自身の振る舞いがズレていたりします。

 格言がありますね。
『世の中にはなあ、裏と表があるんだよ』(豊田先生談)。
 例えがちょっと違うか。