◎夢の話 第635夜 百年百合
5日の午後11時に観た短い夢です。
「もうそろそろだね」
「そうだわね。本当に待ち遠しい」
足取りも軽く、夫婦で北岳に向かった。
目的は頂付近に咲くという百年百合を見るためだ。
「百年百合」は滅多に花をつけることがないから、この名前がついたのだ。
「ようやく美奈絵に会える」
夫婦とも気もそぞろだ。
娘の美奈絵が病床にいる時、父親の私は、娘を少しでも慰めようと、北岳の上から百合の花を採って来た。もちろん、その時はそれが百年百合だとは知らない。
それを知ったのは、それからかなり後になってからだった。
この百合の花は花弁を開いてからかなり長くもつ。
娘が死んだのは、それからちょうど1週間後だったが、その時も花は咲いていた。
娘の息が細くなり、いよいよという時が近付いた。
すると娘は窓際の花を見詰めて、こう言ったのだ。
「父さん。お母さん。次に私はあの花になって戻って来るよ」
「分かった。父さん母さんは、毎年、必ず北岳までお前を迎えに行く」
それを聞くと、娘はにっこりと笑って、そして息を引き取った。
その翌年から、夫婦は春になると必ず北岳に向かった。
しかし、数年後、父親の私は深く後悔した。
「あの百合でなく、別の花だったら、もっと早く会えるかも知れないのに」
よりによって何年も咲かない花だとはな。
高原の駅を降り、山の麓まで歩く。
「今年は咲いてるといいね」
あれからかなりの年数が経ったが、今では足腰もつらくない。
毎年のことで体が鍛えられ、平気になったのか。
この山はあまり知られた山ではないから、登山客はほとんどいない。
山道を登るのは、この夫婦二人だけだった。
3時間掛かって頂上に近付くと、頂から少し下ったあたりに、その白い花が見えた。
「お父さん。咲いてる。咲いてるよ」
急いで、その花のところに走る。
紛れも無く百年百合で、ちょうど蕾が開きかけたところだった。
夫婦が見守る前で、ゆっくりと蕾が開く。
するとその花弁の間には、小さな赤ん坊の顔が収まっていた。
「ああ。美奈絵だ。美奈絵だ」
「美奈絵が帰って来た」
夫婦で手を取り合って喜んだ。
高揚した気持ちが静まると、妻が私に言った。
「良かったね。もうこれであっちに行ける」
私はゆっくりと頷き返した。
「そうだね。もう思い残すことは無いものな」
ここで私は、娘が死んでから、今年がちょうど百年目だったことを思い出した。
ここで覚醒。
何かの作品の影響下にある夢でした。
いつも次女を案じているので、それがデフォルメされている模様です。
幽霊になっても子を案じるのが親だろうと思います。
ストーリーとしては、余りよい話ではないのですが、父としては凹んでいます。