前回のあと、家人に「花がきれいに咲いていた」という話をすると、「じゃあ、私も明日行く」とのこと。
そこで、土曜にまた瀧不動から高麗神社のルートで回りました。
この場合、家人を「連れて行く」のではなく、「付き添って貰う」が正確な表現です。
このところ、再び目の調子が悪く、明暗のコントラストがはっきりしているとよく見えません。
微妙なところでは、やはり家人に手を引いてもらいます。
(ジーサンか!)
少し癪に障るので、そういう時は「ここは善光寺じゃないけどね」と軽口を叩くようにしています。
家人は外国籍なので、「※※に引かれて善光寺参り」を知りません。
「百日祈願」を実行している者は、私(と家人)だけかと思ったら、そんなことはありませんでした。
家人によると、祭壇に手を合わせている時に、近くにいた老夫婦が「あと※回で百回だね」という話をしていたとのことです。
そりゃそうです。
昔から「お百度を踏む」と言いますね。
今日も猫はおらず。
「彼女がいなくて残念だね」と家人にからかわれました。