日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「吉田の牛曳に関する素朴な疑問」

「吉田牛曳」各種

◎古貨幣迷宮事件簿 「吉田の牛曳に関する素朴な疑問」

 今まで誰も疑問に思わなかったのだろうか。

 なぜこの絵銭では「牛曳」なのか?

 一般に「馬は引くもの、牛は追うもの」だ。

 どれくらい前からなのかは調べていないので分からぬが、馬には轡を装着し、牛には鼻輪をつける。

 南部には「南部牛追い歌」があるくらいだから、きっとかなり前からそうなのだろう。

 牛は引いて動かそうとしても動かぬし、無理に引けば鼻が痛いので腹を立てる。

 そこで牛を前に進める時には、背後から牛の尻を叩いて歩ませる。

 親戚に牛飼農家がいるが、そこの家の息子は、牛をどかして農作業をしようと、つい綱を強く引いてしまったところ、牛が腹を立て前に突進して来た。

 息子は倒された上に、足で踏みつけられ、肋骨を二本骨折した。

 イナカ者の私は、この絵銭を見る度に、「コイツはろくに牛を見たことのないヤツが創った絵銭だな」と思っていた。

 

 ただ、この絵銭のモチーフは善光寺の話だったと思う。

 いわゆる「牛に曳かれて善光寺」の件だ。

 善光寺のウェブサイトからこの話を引用すると、内容はこんな風。

 

 むかし、善光寺から東に十里の村里に欲張りで信心薄いおばあさんが住んでいました。ある日、川で布をさらしていると、どこからか一頭の牛が現れ、角にその布を引っかけて走って行くではありませんか。

 あわてたおばあさんは、布を取り戻したい一心で、牛の後を一生懸命追いかけました。走りに走って、おばあさんはついに長野の善光寺までたどりつきました。ところが牛の姿を見失い、日もとっぷり落ちて途方にくれ、仕方なく善光寺の本堂で夜をあかすことに。

 するとその夜、その夢枕に如来様が立ち、不信心をおさとしになったのです。目覚めたおばあさんは、今までの行いを悔いて善光寺如来に手を合わせました。その後、信心深くなり、たびたび善光寺に参拝に訪れるようになったおばあさんは、ついに極楽往生を遂げたということです。

 一説には、おばあさんが家に戻ってみると、牛が引っかけていったはずの白布が観音様の肩にかかっていたともいわれています。それが、現在の小諸市にある布引観音だということです。(引用ここまで)

 

 厳密にはお婆さんは「牛に曳かれて」善光寺に辿り着いたのだから、やっぱり牛の後ろにいた。

 まあ、この話の表題の「牛に曳かれて善光寺参り」を詰めて、「牛曳」と称したのだろう。あるいはその文言が「牛を曳く」設定に転じたのか。

 絵面では牛が構えているように見えるから、この直後にこの人物は親戚の農家の息子と同じように、牛に角をつっかけられるかもしれぬ。