日刊早坂ノボル新聞

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◎『ダブル・ミッション 報復の銃弾』(2018)

◎『ダブル・ミッション 報復の銃弾』(2018)
 前日のコメントの中に表題だけ記したのですが、それだけではジャッキー・チェン映画と間違えられそうなので、解説を追加することに。
 余計なことをしました。チッ。J・チェンの映画は気分が悪くなるほど嫌いなのです。

 レンタルの員数合わせで借りたので、まったく期待せず。
 ありきたりなギャング物で、低予算映画。出だしの20分はテレビの操作物と変わりません。
 あらすじはこんな具合。
 ギャングに警察車両が襲われ、薬物を奪われる。
 その捜査を命じられたのが、一番のボケ刑事で、皆から下に見られている。
 ところが、事件を調べてゆくと、街を牛耳るボスともう一人の誰かが関わっていることが分かる。
 ボケ刑事は実行犯を捕らえるが、あっさりと殺し屋にその証人を殺されてしまう。
 実行犯から薬物を買おうとしたのが、「誰か」の子分で、その薬物は元々そっちの持ち物だったらしい。その子分が殺し屋を飼っており、その殺し屋に関係者を殺させて行く。
 現代は’’THE ASSASSIN'S CODE/LEGACY’’で、本当の主役はこっちのほう。
 殺し屋は無慈悲に関係者をことごとく殺して行き、ボケ刑事の周りにも手が及ぶ。
 殺し屋はボケ刑事の妻(東洋系)の許を訪れるが、その妻はチェリストで、コンサートホールで独り練習をしていた。
 殺し屋はそれを聞いていたが、演奏が終わると、刑事の妻に近寄った。
 ここからのモノローグめいた語りが秀逸。
「俺の父親はベルリンフィルでバイオリンを弾いていた。それが召集され、収容所に送られた。父の務めは子どもたちで、健康な子どもは強制労働に供し、病気の子どもは処置しなくてはならなかった。父は音楽家だったので、上役に命じられ、収容所内でユダヤ人の楽団を組まされた。上役に言われ、最後のクリスマスに楽団で演奏会を催し、一人の女の子に歌わせた。すると、上役が途中で止め、『ユダヤの歌はつまらない。聖歌を歌え』と命じた。『きよしこの夜』だ。だが、ユダヤ人がキリスト教徒の歌を知るわけがない。すると上役は父親に『その子を外に連れ出して殺せ』と命じたのだ。父はやむなく・・・」
 とまあ、ここまでしときます。あまり詳細を書くと、映画を観る時に筋を予見してしまいますから。この先の十五秒と「言葉にしなかった結末」がサイコーです。

 結局、殺し屋は刑事の妻を殺さなかったが、自身の父親の体験を聞かされていたことが理由のひとつだった。
 妻を殺さない決断をしたので、刑事のことも2度殺す機会があったが、殺さなかった。
 ボケ刑事は捜査を進め、本当の犯人が警察署の上司であることに気づく。
 てな感じです。

 殺し屋は「いかにもドイツ系」の風貌で、無表情。この設定で味を出せるのは、演出、演技者が上手いからだろうと思います。
 終盤では、確実に「ドキドキする」場面がありました。

 映画館では、さぞ客が入らなかっただろうと思います。典型的な「観る人を選ぶ」作品になっています。まずは若い人はダメでしょう。
 基本が娯楽映画で、一箇所のみで攻める手法は、娯楽主義、ドラマ主義の双方から敬遠されます。
 捜査ドラマと同じような視線で眺めると、ありきたりで平凡に見えてしまう。
 しかし、映画に限らず、「ひとの心に爪を立てる」のが芸術だとすれば、十分に良い作品と言えます。
 斜めに構えて観ているのに、殺し屋のセリフの骨子はほとんどを記憶しており、幾度も思い返します。
 ワンポイントで「ひとの心を掻き回して、爪を立てる」って路線が、私の歩んでいる方向と同じだからかもしれません。