日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎心の病気ではない(342)

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◎心の病気ではない(342)
 予定通り、宿谷の滝を訪れました。
 断続的に雨が降っているので、今日はまったく人がいません。入り口近くに行くと、「通行止め」の看板があります。
 どうやら、倒木があり、滝への途中で行き止まりになるらしい。
 しかし、私の目的は滝ではなく、その手前の「穴」なので、たぶん差し支えありません。「穴」は道に入って50メートルくらいの左側にあります。
 「穴」は御堂観音と同じく、この世とあの世の境目にある「通り道」のようなものです。

 しかし、入り口を入ったところで、早速、煙玉が出始めました。自然現象でも同じようなものが見られますが、その場合はごく小さいです。私との距離関係で測ると、直径が50センチを軽く超えていますので、疑いなく煙玉です。
 それでも、構わず中に入ろうとしたのですが、すぐさま、「今は入っては駄目だよ」という声がします。
 母に似た女性の声なので、思わず足が止まりました。
 なるほど。落石が待っているらしい。
 携帯が何故か見つからず、持参していませんでしたので、ここで引き返すことにしました。回りには人がいないので、事故に遭うとそのままお陀仏です。

 そこで、高麗神社に向かうことにしました。
 車に乗って発進しますが、後部座席に誰かが乗っているような気配があります。男で26歳くらい。作業服を着ています。
 「また引っ張ったか」
 神社で下ろせば、まあよし。
 ところが、山を下り広い道に出ると、前回同様にブレーキとアクセルを同時に踏み、前の車に追突しそうになりました。
 前回と違うのは、今回はきちんとブレーキのみを踏んでいたことです。すなわち、エンジンの回転数が急に上がり、異常発進したのです。
 「なるほど。コイツは神社に行きたくないわけだな」
 そりゃそうだ。死んだことを認めたくないから、この世に留まっているわけです。

 神社に着き、神殿で手を合わせます。
 祈願することは、いつも通り、「あれこれ置いていきますので、引き取ってください」です。
 まだ、30、40体は連れて歩いている感触があります。

 でも、少し心が明るくなりました。
 時々、私は自分のことを「精神障害ではないか」と疑うわけですが、きちんとかたちに現われます。
 あのまま進むと、はっきりと姿を捉えられたと思いますが、しかし、画像だけが残り、私は戻って来られなかっただろうと思います。
 殆どの人は気付かないと思いますが、あの道の先にはそれこそ「うじゃうじゃと」霊がたむろしています。
 ちなみに、この地に住む人や、観光に訪れる方には、まったく影響の無い普通の場所で、影響があるのは私のような1パーセント以下の者だけです。

 これなら、まだチャンスはありそう。
 とりあえず、あと2年くらい生きていられれば、幾らか爪痕を残すことが出来ます。
 もはや医療で出来ることは無いので、あの手この手で先延ばしを試みるつもりです。
 次回はきちんと会うつもりですが、そこで言うことは、「お前の存在を示し、正確に言葉を伝えられる者は、見渡す限り俺しかいない。俺を死なせると、損をするのは誰か、よく考えたほうがいいよ」ということです。