日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎悪霊は心に取り憑く

◎悪霊は心に取り憑く
 年末年始で、長女が戻って来たので、家族5人のうち4人が揃いました。
 次女は流通業なので、この時期は繁忙です。これからは、5人揃うのは難しくなりそう。
 家の中にいるのは4人なのですが、何となくもう1人いるような気配があります。
 長椅子に座っていたり、テーブルについていたりするのですが、何となくそれが「母」のような気がします。
 母は昨年の3月に亡くなったのですが、実家を訪れると、ドアが開いたり足音がしたりしますので、まだこの世に留まっているのではないかと思います。

 そのことを家人に話しました。
 「何となく、お祖母ちゃんが家に来ているような気がするなあ」
 「そうかもしれないね。あの家に居ても、年末年始には一人ぼっちだものね」
 父は介護施設で暮していますので、家には誰も居ません。

 母を実感出来るのは、他のヤツが遠ざかることです。
 当家では、家族ではない女の姿を見掛けることや、人気の無い2階でドシンドシンと足音がすることがあるのです。
 今は女の姿を目にすることも無ければ、頭の中に悪意を吹き込まれることもありません。
 母は亡くなったばかりなので、自我を強固に保っている。そのことで、他の存在を押し退けるのではないかと思います。
 日一日と、捨て鉢な気持ちが消え、現状に向き合う心が整って行きます。

 いわゆる悪霊は、かつての人生への執着心から自我を残しているわけですが、ひとの心の中に同じものを見つけると、そのひとに近寄って、共鳴します。
 悪意や執着心といった負の思考により存在しているので、常にそれを強化しないと、存在出来なくなってしまうわけです。
 悪霊自身が「そうしよう」と思ってそうしているのではなく、「消えたくないので」、自然とそうなるのです。
 そこで起きるのは自己同一化で、そのひとの中に入り、本人のつもりで悪心を強化します。
 「こんなヤツは殺してしまおう」
 「もう死んだほうがましだ」
 こういう考えを心に抱くと、めらめらと増幅して、止められなくなってしまいます。
 小説や映画とは違い、悪霊が自身として現われ、ものを飛ばしたり、首を絞めたりすることは稀です。(まったく無いわけではありません。)
 「扉を開き、招き入れない限り、悪霊が入って来ることは無い」という言葉がありますが、心の中に共感、共鳴する部分が無ければ、悪霊がひとに取り憑くことは出来ないのです。

 亡き母を身近に感じ、母の言葉を思い出すことで、悪心がどんどん消えて行きます。
 その結果、家の中を歩き回っていた女が消え、足音もしなくなりました。
 自身のことを大切に思い、見守ってくれている存在を感じることで、悪霊が入り込む心の隅間が消えて行くわけです。
 今は「どんな境遇でも、また残りの時間がどれほどでも、前を向いて進むべきだ」と思うようになっています。