日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎速攻で神社へ(367)

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◎速攻で神社へ(367)
 昨日、病院で名前を呼ばれたので、翌朝一番で神社に参拝することにしました。
 (ここだけ読むと、「病院で呼ばれるのは当たり前じゃね?」という話になりそうですが、経緯は省略します。「三途の川便り」を読むと分かりますので。)
 八幡さまがもっとも良いのですが、周囲20キロには条件に適う八幡さまがありません。それでも、1年に百日(回)は高麗神社に行きますので、代わりを務めてもらえるとは思います。
 すぐに高麗神社に参拝しました。
 
 生憎の雨ですが、車は結構入っていました。
 外には数人だけでしたので、大半が社の中で祈祷を受けているのでしょう。
 経験で得た作法に従い、左側通行で神殿に向かいます。
 階段を向かって左側から上がり、左側から神殿前に回り、拝礼した後に、左手から降りました。
 私自身に関する祈願は「健康な人の4割くらい動ける状態」だけですね。あとは、迷っている魂を引き取ってくれと言うくらい。人事は自助努力で何とかするし、出来ます。

 神殿の正面に立つのは、二拝二拍一礼の瞬間だけで、あとは邪魔をしないように、なるべく外側を通りました。
 効果があったのか、画像に異常は出ていません。ま、この日は雨で、陽光が弱いので、通常は出ません。
 画像の端々に「白い玉」が出ていますが、水滴だろうと思います。

 しかし、駐車場に戻って来ると、私が停めた車の位置に別の車が停まっていました。
 「別の車」だと思ったのは、車の助手席に子どもが乗っていたからです。男の子で5歳か6歳くらいですねえ。
 ところが、コンマ2、3秒でその子が姿が消えました。
 改めて眺めると、やはり私が乗ってきた車です。
 「おいおい。勘弁してくれ」
 周囲を見渡しますが、駐車場は外鳥居と内鳥居の中間にあり、微妙な位置です。
 「微妙」というのは、外鳥居や山門の周囲は「霊が集まりやすい場所」なので、物見遊山で参拝すると、余計なヤツを連れ帰ることがあるのです。このため、神社やお寺に入る時には、心を整えて、足を踏み入れる必要があります。
 ゲンナリしたのは、「また外で幽霊を拾って、家に連れて帰るのか」と思ったからです。

 車に戻って、エンジンを掛けたところで、先ほどの男の子のことを考えました。
 映画と違い、霊が姿を現す場合、けして長々と出たりせず、瞬きを1度か2度する間だけ瞬間的に見えます。
 この時、相手の姿かたちがごく普通にいる「生きた人間」とまったく同じに映りますので、一瞬、「そこに人がいる」と思います。でも、あり得ない速度で消えてしまうので、後になってから「あれは人間ではなかった」と分かるのです。

 「さっきの子は高麗人の服を着ていたのではなかったか」
 催し物があると、高麗人のマネキンが展示されますので、独特の衣装デザインを憶えています。
 その青い衣装を着ていたのでは。
 本当に解釈に困るのは、既に、「この世ならぬもの」が画像に写ったり、直に見えたりすることが、頻繁に、ごく普通に起きていることです。
 このため、特別な意味があるのかないのか、よいことなのか凶事なのか、まったく見当がつきません。

 「ま、たぶん、このまま連れて帰るということだろうから、良いしるしだと思うことにしよう」
 何ごとも、「信じぬ者には何ひとつ起きない」ので、まずは信じることからです。
 願わくば、宝くじに当たったり、競馬で大勝ちしませんように。原稿の依頼が次々来たりしませんように。
 現世利益など、「すぐに死んで行く者」には、何の意味もありません。
 今はそういう時ではなく、来月、再来月まで確実に生き残ることが必要です。

 男の子とは常に「左手で手を繋いでいる」イメージを保つつもりです。万が一に、「お迎え」が目の前に現れた時に、働いて貰う必要があるからです。
 ま、いずれ、その男児の姿を画像で捉えることも出来るだろうと思います。

 追記)
 後から考えると、一連の出来ごとに繋がりがあるような気がします。
 最初に車の中で、携帯セージを撮影したのですが、撮影した直後、この容器が助手席の方に落ちました。
 視線を下に向けていた時でしたので、その時は「滑ったのか」と思ったのですが、滑り落ちるのに、助手席まで飛んだりしませんね。
 男の子の伏線だったのかもしれません。

 また、最初の神殿画像には、やはり出ています。
 拡大せず、遠目の方がわかりよい模様。
 たまには出ないで欲しいのですが、ま、こんなものです。