日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎追加画像(367続き)

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◎追加画像(367続き)
事実を正確に伝えるために、やはり画像を再掲示することにしました。
分かりよいのだけ印をつけてあります。
慣れてしまうと、遠目から一瞥しただけで、浮いて見えるようになります。
撮影後3日くらいするとより鮮明になることが多いです。
先方が「見られている」と意識するのかもしれません。

簡単に神殿前を通り過ぎようとしていたので、「おいおい。ちょっと待って。少し寄って行け」みたいに思っている感じがあります。

気をつける必要があるのは、「死ねば終わり」になるわけではないこと。
たとえ死んでも、生きていた時の執着心が無くならないばかりか、理性のたがが外れてしまうので、余計にその思いが強化されることです。
「穏やかに生きる」ことを心掛けていないと、死後も執着心に囚われたままになってしまいます。

目前の苦しみから解放されるために自殺しても、その苦しみから解放されないばかりか、それが際限なく続くことになります。
とりわけ、若い人は自死など絶対に考えてはダメです。

追記)
画像を追加しました。
元の画像が5Mくらいのサイズなので、拡大しても画質が落ちません。
ただし、拡大すると、背景が鮮明に見えますので、手前のスクリーンがおぼろげになってしまいます。
以前説明しましたが、背景を利用して、それに乗りかかるように現われますので、はっきりしないことの方が多いです。
独立した存在ではないために、「ただの気のせい」と見る人が大半なのですが、基本的に「気のせい」が出発点です。
まあ、この日は雨で、「太陽光の二重反射」という重要な要素が欠けています。

この画像には「状況」がないわけですが、中央の女性の顔は「いつも写っている」ものと同じですので、それと分かります。
1度であれば「たまたま」ですが、5度10度と重なると、そうは言えなくなって来ます。