◎スマホ画像の解析結果より
先日の神殿前の画像について、スマホに保存してあった方をたまたま開いたのですが、PCに写したものとはだいぶ変わっていました。
やはり、私が中央の前に立ったので、触媒の務めを果たしたのか、神殿に向かう人影が沢山見えています。
以前から「窓」のようなものが所々に開き、その中に人影が写ることを発見していたのですが、この「窓」はカメラの自動ピント調整が働いたのではないかと思います。
基本的に「機械のしわざ」と思うと、少しホッとするわけですが、しかし、カメラはそこに被写体を見つけてピントを合わせているわけです。ううむ。
右側の「窓」には、三人の女性の人影があるのですが、この手のを見慣れた私でもややキモい部類です。
直接的な影響はありませんが、これを見た人が悪夢を観る可能性がありますので、詳細や元画像の掲載は止めて置きます。それはどれかと探す心理状態には隙が生まれますし、恐怖心はその隙を広げてしまいます。
ここの女性たちは、まだ霊界に向かう準備が出来ていません。
今回はややドロドロした画像になっています。
死後、この世に留まるのは、なるべく無難な期間、すなわち1年か2年程度にしたほうが良さそうです。
幽霊として存在する世界は、あまり心地良いところでは無さそうだからです。
いざ死んでしまうと、思考能力が無くなるので、生前の執着心を自ら解きほぐすのは、なかなか困難な状況になってしまいます。
四を迎えるまでに、死後に受けれるべきことを認識し、欲望や執着心といった悪心を脱ぎ捨てられるようにして置く必要があります。
ひとが死ぬと、「肉体を失うが自我が残る状態」を経て、「自我を解放し、自他の区別が無くなる状態」に向かうのですが、ひとつ所に留まらずに進んでいけば、幾度でも新しい人格となって再生する事が出来ます。
ひとりの一生は、空で生まれた雨粒が地面に落ち、砕け散るまでの、ほんの一瞬の出来事です。
「ひと粒の雨」であり続ようとすることは、自分が海の一部だったり、雲の一部だったりすることと較べると、本当に小さい話です。
画像の人影の多くは、肉体が滅んだ後も、自分の居場所を求め、「助けて」と叫び続けています。
これほど空しいことはありません。
今回、画像としてはかなり不鮮明で、分かり良いのは、一番前の短髪の男性だけだろうと思います。
しかし、既に見慣れた方の中には、目視では不鮮明であっても、被写体との間に「もや」を見取ることが出来るようになった方もおられるでしょう。もやを見ていると、そのうちに次第に人影が浮かんで来るようになります。
それで良いことがあるかというと、必ずしもそうではなく、正直、煩わしいことが格段に増えます。
「そんなものか」と見なし、そこで留まるという選択もアリだと思います。
自分を見てくれる人の前には、霊(この場合は幽霊)は、好んで姿を現すようになります。
人のいない場所で「声」が聞こえるようになったら、既に分岐点に立っています。
いつも書きますが、大半の宗教家や霊能者の言うことは、ただの想像や思い込みです。
あの世で起きることを現実に目の当たりにすると、「だいぶ話が違う」ことになってしまいます。