◎再検証
翌朝になり、冷静に見直してみました。
人影はあまり鮮明ではないので、「気のせい」と思った方がよさそう。
女の顔は割とよく見えるのですが、自分に関わりが無ければ、存在しないのと同じです。
女子校生が電車の中で平気で着替えをしていたりすることがありますが、あれは周囲の客のことがどうでもよくて、「存在しないのと同じ」だからです。
ま、被っているはずの麦藁帽子が消えて、おまけに髪の毛も消え、頭頂部がツルッパゲになっているのは嫌ですが、いずれ程無くそうなります。
今はツルッパゲになるまで「生きていられるかどうか」の方が重要です。
現状ではあまりよい気配ではありません。
帽子が消されているのは、「これはけして『気のせい』ではないからね」と伝えようとしているのかもしれません。
説明の付かない現象を否定的に眺め始めると、時々、この手のことが起きます。
西伊豆では、かけていないメガネをかけた状態で写真に写りました。
「見てくれ」と言いたいのであれば、その先に「何かしてくれ」が待っている筈ですが、何を求められているのかが分かりません。
なるべくなら、「あの世に連れて行くから用意しろ」ではないことを願います。
追記)
画像を追加しました。
ウェブ上ではほとんど見えないと思いますが、手元のものには出ています。
この辺は私にしか見えませんので、「気のせい」の範囲です。
「首なし」の着物の女は、春先に散々苦しめられた相手ですが、どうやらまた寄って来ているような感じです。
「正念場が近付いている」ということでしょうか。
女性の大きな顔は、半数以上の方が「見える」らしい。
「気のせい」や「妄想」から一歩先んじた格好ですが、もちろん、何の意味もありません。
「戦う相手が増える」事態が、再確認されるだけです。