日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夏の怪談 「気のせいではないぞよ」

◎夏の怪談 「気のせいではないぞよ」
 前記事の「けして気のせいではない」というフレーズで、思い出すことがあります。

 今から20年ちょっと前の話。
 私と妻、生まれてまだ半年にならない長男、そして父(お祖父ちゃん)と一緒に三陸の海に行った時のことです。
 久慈から南下して、宮古まで海岸線を眺めながらドライブすることにしたのです。

 しかし、生憎の天気で、ずっと曇。時々、小雨も降ります。
 南下の途中で、午後5時前に、岬の先に建つ食堂に立ち寄りました。
 海側が全面ガラスで、食事をしながら景色を眺めることができるつくりですので、「展望食堂」と呼んだ方が良いかもしれません。
 ここの経緯は、既に幾度も書いていますので省略しますが、時間帯もあり、客は他にいませんでした。
 私はその店に入った瞬間に「何となく気持ちが悪い」と思ったのです。
 灯りが点いているのに薄暗くて、寂れている感が否めません。

 席につき、私はすぐにトイレに行ったのですが、そこも薄気味悪く、「誰かが見ている」気がします。
 家族のところに戻ると、息子がぐずり始めていました。
 「どうしたの?」
 調べると、お腹が空いているわけでもなければ、おしめが濡れているわけでもありません。
 ただ、泣き叫んでいるのです。
 息子をあやそうと抱き上げたのですが、それでも、それこそ「身をよじって」泣き叫びます。

 「仕方ない。ちょっと外に連れて行ってやる」
 息子を抱いて、玄関を出ました。
 道路側のほうに出ると、息子は大人しくなりました。
 そうやって息子をあやしているうちに、先に父と妻に食事をさせたわけです。
 しばらくして、妻が「いいよ」と伝えに来たので、もう一度席に戻りました。

 すると、店の中に入った瞬間、再び息子が泣き叫びます。
 「うわあ。うわああ」みたいな泣き方でした。
 「仕方がないわね」と、今度は妻が息子を外に連れ出します。
 その間に、私は急いで海鮮丼を食べ、精算をしようとしたのです。

 立ち上がろうとすると、稲光が光りました。
 海側は全面がガラス窓なので、全体がパッと明るくなります。
 その時、一瞬ですが、窓の向こうに沢山の人の顔が映りました。
 それこそ「鈴なり」という表現が似つかわしいくらいの数でした。
 「うわあ」と思わず叫び声を上げます。

 慌ててお金を払い、車に乗りました。
 すぐに出発します。
 道に出る時に、私は頭の中で、「さっきのは何だったのだろう」と考えました。
 一瞬ですが、数十の顔が見え、こっちを見ていたのです。
 「まあ、気のせいだよな。そんなことがあるわけないもの」

 本題はここから。
 その時、頭の中で、とても自分の声とは思えぬ声が響いたのです。
 老齢の女の声です。
 「けして気のせいではないぞよ。そのしるし(証拠)を見せてやろう」
 「しるし」。しるしとは何のことだろう。

 そのまま道を百辰曚豹覆爐函対向車線を大型トラックがこちらに向かって来るのが見えました。
 あと40、50メートルですれ違う距離になると、道に犬が飛び出すのが見えました。
 まるで、後ろから誰かに追いたてられたかのような勢いで、道に飛び出したのです。
 それが大型トラックの直前だったので、犬はトラックに撥ね飛ばされてしまったのです。
 トラックの運転手は、さすがに驚いたのか、車を停止させました。

 その脇を、私の車が通り過ぎたのですが、犬(大型犬)が横たわり、ヒクヒクと痙攣していました。
 「これが証拠というやつか。すると、さっきの人たちもあそこにいたということだ」
 海辺の岬の先なので、荒天の時にそこに立つ「人間」はいません。
 なるほど。息子が泣いたのはそういうわけだったのです。
 小さい子どもは、まだ「あの世」とも近しい関係にあります。

 時々、思い返すのですが、「それでもまだ、犬で良かった」と思います。
 あれが人間の子どもだったりしたら、それこそ、悪夢にうなされるようになったと思います。

 「怪談」に仕立てるなら、「人が急に後ろから押されたかのように」と書くだろうと思います。
 でも、これは実話なので、起きたとおりに記します。

 痙攣する犬の表情を見たのですが、もはや生気を失っていました。
 それでも、ずっと私の目を見ていたのです。
 確かに「気のせい」ではありませんでした。

 追記)
 昨年、たまたま同じ道を通ったのですが、あの店にはまだ暖簾が下がっていました。
 経営者が同じかどうかは分かりません。
 それを見ると、こういう現象が「人を選んで起きる」ことが分かります。
 何も感じない人は、多少のことには気付かないので、あの世の住人はその人の前にはあまり現れません。
 自分を「見られる」「見てくれる」人だと分かると、わっと寄り付いて来ます。
 そういう意味では、心の底から「そんなものはねえよ」と信じた方があれこれ煩わされずに済みます。
 実際に見聞きしても、楽しくなることなど塵ほどもありません。

 店の人たちや近所の客は、まったく何も感じずに暮らしていそう。
 ま、某ダムのレストハウスのように、5年以上、何事も起きなかったのに、ある日突然、画像にデロデロと現れるケースもあります。