日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

臨死体験

かつて1度死んだ時の話です。

20代の終わり頃、私はシンクタンクの研究員で、年末から3月までは週に3日は会社に泊まって仕事をしていました。
当時はパソコンのメモリがせいぜい1メガくらいしかなく、データを大量に処理する際には、今では考えられないほど手間と時間がかかりました。
2月だったと思いますが、データ処理のため3日間ほど不眠不休で働いた後、マンションに帰ったのが日曜です。
その日は午後から父が所用のため上京しましたので、ほとんど寝ずに東京の案内をしました。

夕方、食事をしながらビールを飲み、風邪を引いていたので薬を飲み、さらにシャワーを浴びてから、床についたのです。
12時過ぎに目覚めると、胃の辺りが重くなってます。
気持ち悪いなあと思いつつ、体を横にしていたのですが、重さは取れず、逆にぎゅうぎゅう苦しくなってきました。
どうにも我慢出来なくなったので、隣で寝ていた父を起こし、「病院に行かなくてはならないかも」と伝えました。
その時の私の顔色が余程悪かったらしく、父は動転し、部屋に電話があるのに外に飛び出し、近所のスナックまで走り、救急車を呼んでもらいました。
救急車に乗せてもらうところまでは憶えていますが、そこから先、病院までの途中の記憶は消失しています。

気がつくと、私は救急処置室の中に立っていました。
目の前に診察台があったので覗き込むと、そこに寝ていたのは、ナント私自身です。
隣では、30歳代と思しき医師が、私の心臓をマッサージしていました。

その光景を見ているのは紛れもなく私自身ですが、全く同時に、別の場所を歩いている私を感じます。
そちらの私は、暗いトンネルの中をトボトボと歩いているのですが、行く手のはるか遠くに光が見えます。
「あそこまでは結構遠いなあ」
そう考えながら、前に進みました。

この時、さらに並行して、私は病院の壁を2つ隔てた待合室に立っていました。
目の前では、父が救急隊員の人と話をしています。
「若い人で、こういう風に急に心臓が苦しくなるケースが時々あるんですよ」
なにやら、状況はあまり良くないらしく、隊員は慰め口調でした。
父は、息子がポックリと死ぬのではないかと思ったのか、早々と肩を落としていました。

処置室の中、トンネルの中、待合室の私は、紛れもなく全く同時に3箇所で存在していました。
そのうち、トンネルの光が瞬いた一瞬に、ひゅうっと気が遠くなったのですが、パッと眼が開いた瞬間には私はベッドの上にいました。

あとで医師に聞いたところによると、私の心臓はほんの1、2分の間ですが確かに止まっていたとのことです。
不思議なことに、目覚めてから体の調子はなんともなく、数時間休んだ後、私は父と歩いて家に帰りました。
待合室で、救急隊の人とこんな話をしてた?と父に聞いたのですが、話の内容は私が聞いたものとまったく同じでした。

実体験なので確信がありますが、その時のトンネルの先がいわゆる「あの世」ってヤツだと思います。
その後遺症というものなのかはわかりませんが、今でも時々、写真を撮ると、妙な煙玉(オーブ)や蛇状の雲、人影が写るようになっています。