日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

三流なりの生き方

「人生万事、テキトー」と旨として生きてきましたので、結構年を取っているのに、何ひとつできやしません。振り返ると、誠に寂しい限りで、何も残せていない。

目的の達成のために努力するのは当たり前としても、プロの間でしのぎを削る際には、天賦の才能の有無、すなわちセンスってヤツが勝負にかかわってきます。
さらに、才能に恵まれない者は、大概のところ運をも持たないことが多く、何かを成し遂げようと思っても、次々障害が立ちはだかります。
物事を自分の思い描いたとおりに進めることは、到底出来ませんね。

プロ中のプロを「一流」とするなら、ひとまずのプロは「二流」で、プロとアマチュアの境目くらいが、「三流」ということになります。
「自分はこの世界で生きていこう」と思うときが、アマチュアとプロの境目くらいだと思いますが、この時つい他の人の生き方と自分を重ね合わせてしまいます。
大半の人はここで、自分がダメで、出来ない理由を探してしまう。
ここが最大の分岐点。

スポーツに例えるのであれば、「自分が松井秀喜選手のようになれない」からといって、野球をやめる必要はないということです。
野球と共に生き、楽しめばそれでよいわけで、大リーグの選手になれそうもないことで、悲観することはない。

三流には三流なりの生き方があります。
プロに手が届く水準に至るまで、並々ならぬ研鑽と努力が必要であることは言うまでもありませんが、ソコソコの地盤ができたところからは、極力「楽しむこと」を心がければ、それはそれでよいのだと感じます。