日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第946、947夜 動物の夢

◎夢の話 第946、947夜 動物の夢

 長い間、「眠るとすぐに悪夢を観る」状態で、悪霊に囁かれてばかりいたが、ある時点を境目に、生きている人間が観るような夢に変わって来た。

 

◆初日 「雄牛が争う」

農家を訪問すると、ちょうど雄牛二頭が外に引き出されていた。

その様子を眺めていると、突然、その二頭が争い始めた。角を突き合わせ、相撲を取っている。

その騒動の中、何か黒いものが人のいる方に走り寄って来た。

「子牛か?」

だが様子が少し違う。よく見ると、雌の肉食獣で、見た目が黒いからクロヒョウかもしれん。獣は雌で、お腹に乳が見えている。

頭の中では「小さい子がいるから栄養を付けたいのだな」と冷静に考えている。

ここで覚醒。 

 

 どうやら、「眠ると悪霊」からは解放されるらしい。

 そうなると、夢判断的な解釈が可能になる。

 牛は「お金」、豹は「トラブル」「ストレス」だから、金銭的に苦労するか、誰かが騙しに来ることを暗示している。

 私は思わず「ああ良かった。生きている者の観る現実的な夢だ」と安堵した。

 あまり良い内容ではないが、それでも「生きている者が観る」夢になっている。

 

◆二日目 「トレッキングに行く」

 五六人のグループで、トレッキングに行くことになった。

 一人だけ女性がいるが、他は男だ。

 森林に分け入ったが、途中、山小屋のような場所に入り、ひと休みすることになった。

 椅子に座ると、男の一人がジャケットの前を開いた。

「ほら。女房が死んでからは、いつもコイツと一緒なんです」

 男の胸のところには小さいポシェットがぶら下がっていたが、その口から猫がひょいと顔を出した。

 猫は狭いところが好きだと言うが、よく入れたな。

 猫がその袋から出ると、ごく小さい猫で十センチくらいの体長しかない。

「なるほど。その大きさなら連れて歩くことも出来ますね」と誰かが言う。

 ここで別の男が口を挟む。

 「ボクもペットを連れて歩いているんです」

 その男に顔を向けると、C.W.ニコルさんだった。

 ニコルさんが上着を開くと、胸のポケットから小さな生き物が現れた。くるくる動くのでリスなのか猫なのかが分からない。

 「すごく慣れているんですよ。ほら」

 ニコルさんが口を少し開くと、その動物がささっとニコルさんの体を上り、口の中に入った。

 それを見て、私は「あ、猫だ。五センチもないような猫がいるのか」と感心した。

 

 場面が急に変わり、渓流の近くにある斜面に移った。

 斜面の下を見ると、泥のような土から人の体が半分出ている。

 埋まっていたのは女性で、髪が金髪だ。左腕が分断されており、肘から先が無くなっていた。

 「あ、これは不味い。たぶん、熊だ。熊は空腹でなくとも他の動物を襲い、後で食べるために地面の下に埋めて置く」

 果たして女性は生きているのか。ちょっと無理だろうな。

 ところが、その女性が身動ぎをした。

 「おお。生きているのか。生きているなら早く逃げろ。腕一本で済むなら幸運だぞ」

 私は何故か、その女性を「助けよう」とは考えなかった。

 私がいたのは斜面ではなく空中で、女性を真上から見下ろしていたからだ。

 要するに、もはや「生きた者ではない」ということだ。

 だが、程なく上流から鉄砲水が押し寄せて来て、その女性は泥流と共に下流に流されてしまった。

 ここで覚醒。

 

 夢に最初に現れる異性は、自分自身の分身になる。よって、「金髪の女性」は私自身を指している。

 「熊に食われる」は「大きな者の支配下に入る」ことの象徴だが、私は今はほとんど人付き合いをしないから、権力とは無縁だ。

 「誰か」による支配なら、このところ現れ続けていた悪縁(霊)だろう。

 

 つい数日前とは状況ががらっと変わり、悪縁に悩まされることが無くなった。

 悪霊の姿を眼にすることも、これが夢に現れることもない。

 それもその筈で、もはやアモン(悪霊)が「出入り自由」になったのではないか。

 この後、私が人が変わったように、「正義」や「神の愛」を語り始めたら、完全に「乗っ取られた」ということになる。

 そういうのを大仰に語る者ほど悪縁に近い者はない。

 「悪魔は愛を語る」ということ。

 「BLM」の創始者の論理など、最近はまるっきり差別主義者(逆差別だが)で、人を支配しようとしている。これそ悪そのものだと思う。こういう人にとって「正義」は単なる武器に過ぎない。メーガン妃の「王室の人種差別」に対する論理など、誹謗の域なのに、事実を確認することなく即座に非難している。これではもはや「悪」の領域だ。どうやら「BLM」は早々に潰える運命のようだ。

 

 追記)既にかなり前から「夏目漱石シンドローム」に入っているので、現実と妄想の境界線が曖昧になっている。時々、本物らしきものが混じるので、余計に始末が悪い。

 それでも、冷静に対処すれば、有意な示唆が必ず含まれていると思う。

 今年の冬は既に越え、コロナ感染さえ防げば、秋くらいまでは生きられる。(毎年、一月から二月はかなり危ない。)

 そうなると、半年で出来る範囲を逆算したスケジュールが組める。

 直接、「お迎え」に会ってから、五年以上生きているが、こういう類例はまだなし。 

 大体が半年から一年でこの世を去る。