日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

<北斗英雄伝>田頭城はこんなところ

8月に退院してから、ようやく活動再開といったところです。
 
10月の中旬に、田頭(でんどう)城に行って来ました。
田頭城は、今の八幡平市(元の西根町)の田頭にあります。
 
県道?23号線を北西に進んで行くと、左側に田頭郵便局が見えてきます。
その隣が、館山公園の駐車場で、すなわち田頭城への入り口です。
ここは、「田頭城入り口」のでっかい看板があれば、訪れる人には便利だろうと思います。
 
敢えてこう言うのは、地元の人が気付いているかどうかはわかりませんが、この城跡が、すばらしく良いものだからです。
わずか1千石の地侍の住んだ小城ですが、ここには、城が持つ総ての要素があります。
三百数十メートルの小山の上に立てられた城は、まさに山城で難攻不落。ここを武力で攻め落とすのは至難の業です。しかし、一方で、水や食料を運び込むのに、大変な労力を必要としたことも覗えます。
おそらく十日間くらいの間、周りを包囲し、糧道を断てば、城は落ちたのではないでしょうか。
 
まず、駐車場の奥にある案内看板です。これも駐車場入り口にあれば、遠くから訪れる人には便利ですね。
 
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この看板の脇には階段があり、そこが城に上がる入り口です。
 
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結構、キツイ坂道ですよ。
ここを登り切ると、三の丸になってます。ちなみに、「丸」というのは、江戸時代になってからの呼称なのですが、この時代には何と呼んだものやら。「脇郭」には入りそうですが、果たして・・・。
この上が、二の丸になります。
 
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二の丸は三の丸より広く、建物を置けるスペースがあります。
本丸のへの上がり口には、長い滑り台がありました。乗って滑ろうかと思ったのですが、見学客が入ってきたのでさすがに控えました(苦笑)。オヤジが滑り台に乗っている姿はあまり良い絵柄ではありません。
 本丸に上がると、まず案内看板があります。地方の小城の場合、何の掲示もない無いことが多いため、このようにきちんと情報提供されていると助かります。
 
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田頭城は、単独の丘の上にあり、ここからは大更の町を見晴らすことが出来ます。
なかなか良い景色です。
 
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本丸の奥には神社があります。祀られているのは、不動明王ではなかったかと思います(不確かです)。
神社の左隣には、大きな杉の木があり、近くに寄ると目がショボショボしました。
 
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本丸の右奥には渡り橋があり、尾根沿いに何か建物があったようです。
もちろん、橋自体は再現したものです。
 
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ここに、「城の建物が残っていれば、さぞ楽しかっただろうな」と感じます。
誰か、神楽殿を神社の隣に作ってはくれないかな。
この山頂で、神楽見物が出来るのなら、ワンサカ人が訪れるだろうと思います。
奥州の中でも、こんなにコンパクトにまとまった城は類例を見ません。大きいのだけが良いわけではないですね。
この城が、「名城の1つ」と言われてきた理由が初めて分りました。
 
「北斗英雄伝」の中では、田頭左衛門の出番はありませんが、名前は何度か出てきます。
玉山家から絶縁されたお仙が、「仙鬼」になるのは、誤って田頭左衛門の息子を殺してしまうのが、その発端でした。
また、沼宮内城の攻防戦で、敵に囲まれた厨川五右衛門(疾風)らの援軍に駆けつけたのが、一戸(平舘)信濃政包で、田頭城を落とした直後のことになってます。
田頭氏は、どちらかと言えば悪役ですが、本姓で言えば、私とは同祖・同姓なので、その辺は勘弁して欲しいと思います。小説は作り話ですが、子孫が生き残っている氏族を貶めるのはさすがに気が引け、自分に近い立場の氏族を選んでしまいます。