日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(飯能)再び瀧不動にて  (その3)

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庭のサクランボの花は、今が盛りです。
サクランボは雌雄別の花を受粉させる必要がありますので、鉢植えの方の花を移動し、片方の木の下に起きました。
「さて、中に戻ろうか」と玄関に戻ったのですが、あんれまあ、ドアが開きません。
先日の瀧不動参りの後、家族の中で、私だけ時々ドアが開かなくなります。
鍵を3、4度回し直すと、大体は開くのですが、最初から開いているドアが開かないとなると、金具の具合によるものとは言い切れなくなります。

ノブを触った時の感触の悪さときたら。
前回も書きましたが、中で誰かがノブを両手で押さえつけているような力加減です。

「こりゃ、やっぱり何か伝えたいことがあるのだな。じゃあ、また今日もお参りに行ってみよう」
そう思った瞬間に、パッとドアが開きました。

当家から瀧不動までは、車で20~30分です。
このところは出掛ける時はいつも妻と一緒ですが、その日は独り。
お知らせがあるなら、1人きりの方が聞き取りやすいです。

駐車場は、いつも通り空いています。
平日の昼で、かつここは土地勘がないと入り難い場所にあります。
いつものように、お賽銭を115円入れました。
お不動さまの他、大日如来七福神が祀られており、各々に115円ずつ回ると、全部では結構な金額になりますので、今回はお不動さまだけにしました。
ちなみに10円が私自身のため、100円が私の周囲の人たちのため、5円が私が嫌いな人、もしくは私を嫌いな人のためです。最後は特定の人を思い浮かべる必要は無く、「つまらないK流ドラマを、今もグダグダ放送している某テレビ局のバカ」などでもOKです。
「勝手に幸せになってくれよ」と祈ります(笑)。

仏様に背中を向けたら、次は厄払いです。
お金を喉→額→盆の窪の順に当て、投げ捨てます。
お金は厄で、前は50円玉でやっていましたが、子どもに拾われたことがあり、今は汚い古銭にしています。他人の厄を拾ったら可哀そうですので、拾いたくなさそうな物にするわけです。

お参りを終え、駐車場に戻る途中、家のドアのことを少し考えました。
以前、ドアが開かなくなったときは、家の電機類が幾つか止まりました。
故障が見当たらないのに、動かなくなってしまうのです。
買い換えを考え、新しい機械を選ぶ頃になると、また動き出します。
ドアだけでなく、他にも様々な不審事が重ねて起きますので、さすがに「けしてたまたまではない」という確信を得ます。
大体は、思い当るようなことがありますね。
具体的には書けませんが、「しなくてはならない」か、「してはいけない」という内容に類することです。

一瞬、「言葉で言ってくれれば、分かりよいのに」と思いかけましたが、すぐに打ち消しました。
「すいません。今のは無しです」
1人でいる時に「○○をしなさい」などと言い付けられたら、気持ち悪くて仕方ありません。

東京N区のS公園は、ある方面の人たちには有名な霊場ですが、そこでのパターンは「○○さん」と名前を呼ばれることらしいです。1度名前を呼ばれると、その後1、2年の間は凶事が続くと聞きます。
きれいな公園で、大半の人にとっては、のんびり出来るところですが、ごく一部の人間にとっては、「けして近寄ってはならないところ」らしい。
声で呼ばれるケースは、「良くないこと」の前触れが多いので、言葉で話しかけるのはやめて欲しいですね。

さて、次に頭に浮かんだのは、「まさか私の死期を伝えたいわけ?」ということです。
「死ぬのは全然怖くない」と言う人は、単に現実感を持っていないだけで、死が間近に見えるようになると、その瞬間から怖くなる、と言います。
高齢になり、重病で動けなくなった人の多くが、「まだ死にたくない」と叫ぶ。
私は自分の死が目の前に見えていますが、たぶん、若く元気な頃より「死にたくない」気持ちが高まっていると思います。もちろん、だからと言って、叫んだりはしませんが。
てなことを、つらつら考えました。

その次に頭に浮かんだことは、「(お知らせが)どういう内容か分かるように、毎週ここにお参りに来ようか」ということです。
「イケネ。これも無し」ですね。
これでは「願掛け」になってしまいます。
「願掛け」をしてしまうと、約定と同じなので、違えた時には罰が待っています。
そこで「来られる時には、またお参りに来ます」と改めて言い直しました。

それから、買い物をして帰宅しました。
玄関の前に立ち、少し緊張しながらドアの鍵を回すと、するっと開きました。
「大丈夫じゃん」
しかし、家の中に入り、途中で買って来た物を冷蔵庫に入れようとすると、上半分が止まっていました。
「なるほど」
前回、同じように冷蔵庫が止まった時の状況と重ね合わせてみると、何となく、「今何をしなくてはならないか」が想像出来ました。

今回は、けして「もうじき死ぬぞ」という話ではなく、何かご褒美をもらえるようです。
この2年近くは病気でかなり苦しんできましたので、ご褒美なら歓迎です。