日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

「怠け者の神頼み」

家人は、はっきり・さっぱりの姉御肌。
かつての同級生たちから、毎日のように相談を持ちかけられます。

昨日は、今は心臓外科医の同級生から「メールが来た」とのこと。
その同級生(男性)は心臓のバイパス手術の名医で、ニューヨークで働いているようです。
あまりにも忙しすぎるので、自分も心臓病となり、バイパスになってます。
心臓バイパスオヤジが、毎日、他の人の心臓にバイパスを作っています。

「最近、悪いことばかり起きる。俺は今年、厄年なんじゃないだろうか。日本の占いでは俺はどうなっているかを調べて欲しい」
これが相談内容だったらしいです。(ちなみに両方とも外国籍。正確には「厄年」という言い回しではありませんが、同じような意味でした。)
家人の答えは「バカヤロ。不吉なことばかり起きるのは、神さまのせいでも、アンタが厄年だからでもない。誰にでもトラブルは起きるのだから、めげずに前進することだよ」。

つくづく本当だな、と思います。
同じことでも、見方を変えるだけで、どのようにでも見える。
車を発進した直後、続けざまに5回赤信号で止まったら、「自分だけが損をした」ように感じます。
しかし、信号に悪意は無く、ただ時間が来たから変わっているだけです。

昔、年上の女性に、「悲しいことが起きた時、それを自分だけに起きていると見なせば、明日までも生きていられないと思うようになる。ところが、これくらいは誰の身にも起こることだと思いなせば、案外平気になるもの」と言われたことがあります。
今も時々思い出しますが、本当に良い言葉です。

先程の外科医の話の後、夫婦で笑い合いました。
肉を食べる時、コショウを掛ければ美味しくなります。
保存技術が進んでいなかった昔は、コショウによって、肉の匂いを押さえられたので、おいしく食べられるようになった。
しかし、だからと言って、コショウが総てを決めているわけではない。
肉あってこそのコショウです。

ここではもちろん、肉は人生、コショウは占いや風水の例えです。
最も愚かなのは、風水だとか、暦だとかにとらわれるあまり、それが人生を左右するような重要なものと思いなしてしまうこと。
⇒「黄色くするだけで良くなるなら、パンツにウン○を付けて歩けよな」
あるいは、神や仏のせいにして、自助努力を忘れることです。
⇒「神が罰を与えているせいにして、自分の怠慢をごまかすよな」

天災のように、人知を超えた出来事は必ず起きます。
災害や不幸は、起きて当たり前。
大切なのは、凶事が起きようと、へこたれずに前進することです。

当家の玄関には段ボールが山積みです。
置くところが無いくらい本が積まれていますが、だからと言って別段、運を損ねることも無いようです。
確か「湿気(と運)を吸うので段ボールは置くな」でしたね。
ああ、バカらしい。

努力を怠り、この手の「信仰」に頼るようになるほうが怖ろしいことです。
「風水は 怠け者が 思うこと」
「神さまと イワシの頭は 変わりなし」
ヘタな狂句で締め括ります。