ニュースより。
大学の准教授が妻に取り憑いた悪霊を祓うために、祈祷師と共に、大量の水を飲ませて殺害した。
この殺害方法が、「鼻から水を注入した」というものです。
察するに、その「水」は、お祓いを施した水で、奥さんにこれを向けると、取り憑いた悪霊が嫌がった。
「効力があるのはこれだ」ということで、その水で悪霊を追いつめた。
奥さんは水を飲むのを拒み、固く歯を食いしばる。
このため、片方の鼻にチューブを差し、ご神水を注入した、ということだろうと思います。
これは新興宗教の信者が、自らの「思い込み」で起こした事件とはおそらく違います。
夫は大学の准教授で、元々、理性的な人間です。
その人が「何とかしなくては」という思いから水攻めに至った。
すなわち、その奥さんの症状が、それほどまで酷かった、ということでしょう。
ここからは、別の人の体験談を基にした想像です。
その人は、そこまで酷くはありませんでしたが、憑依された本人でした。
最初は「音が聞こえる」ことから。
家の中に誰か別の人がいるような足音が聞こえる。
話声が聞こえる。
そのうち、呼び掛けられるようになる。
「ねえ〇〇」(〇〇は名前)
不安になり、色々な人に相談するが、相手にしてもらえない。
この話をすると「気のせいだ」とバカにされる。
自分は本当は一人ぼっちだったのだ。
いつの間にか、自分を相手にしてくれるのが、誰かの「声」だけになる。
次第に、その「声」と会話をするようになる。
「声」だけは自分のことを理解し、共感を示してくれる。
「そうだよ。あなたの言うことが正しくて、他の人たちは間違っている」と言う。
いつの間にか、その「声」に同意するようになっている。
この辺から、他の人にも、当人の異常さが見えて来ます。
何か独り言を言っているが、その内容が会話になっている。
これに夫や、親兄弟が気づきます。
「おいおい。大丈夫か。最近、疲れてるんじゃないか」
こう声を掛けられても、本人はもはや話を聞かなくなっている。
「どうせ、あんたはワタシのことなんかちっとも分かってくれない」
次第に人から遠ざかるようになる。
始終、ぶつぶつと独り言を言っている。
親や兄弟が気づき、「カウンセリングでも受けて見れば」と安易なことを言う。
本人はますます孤立し、孤独感を覚える。
以上は、最初の段階で、本人に起こることです。
ここからが「悪霊」の本番です。
ほとんどの人はこの後に起きることを知りません。
その当人は、今や誰の眼から見ても、「異常な状態」に見えるようになっている。
身近な人が精神科に連れて行く。
医師は「ストレスなど心の問題」で治療しようとする。
向精神薬を飲まされる。
薬のせいで、頭がぼんやりする。
その状態では、頭の中に響く「声」に逆らうことが出来なくなる。
「待ってました」とばかりに、邪な考えがその人を支配するようになる。
周囲は、もはや「家では治癒は困難」と見て、精神科に入院させようとする。
もちろん、本人は同意しない。
そこで強制的に入院させようとすると、物理的に異常な事態が始まる。
皿が飛び跳ねる。
扉が勝手にバタンバタンと開閉する。
戸棚や書棚が倒れる。
(映画や小説の話だけかと思いきや、ここまでを経験した人は沢山います。)
夫や家族の「魂はない」、「神や仏は存在しない」といった考えがここで吹っ飛ぶ。
家族は、「自分たちの温かい心」や、「医師による治療」では、当人をとても助けられないことを知る。
もはや祈祷師しか、改善の望みが無くなっている。
様々な祈祷師の許を訪れる。
霊感師や祈祷師の大半は「ただの妄想家」に過ぎないので、ほとんどが何の役にも立たない。
たまに、本当に霊力のある祈祷師に巡り合っても、その祈祷師は「今起こっている事態」を知ると、逃げ出す。なぜなら、関わると自分も危ないから。
幾人もの祈祷師を経て、ようやく「一緒に戦ってくれる人」に会う。
その人のお祓いは、いくらか効き目があり、当人が本来のその人に戻ることがある。
かすかな希望が出て来る。
真言(祝詞やお経)により、「悪霊」が苦しむさまが歴然とわかる。
効力のあるアイテムを見つける。(この事件では、ご神水)
これを使用して、悪霊払いを徹底して行う。
この結果、憑依された本人は、耐えきれずに死んでしまいます。
既に「悪霊」と一体化していたためです。
妻を悪霊祓いによって「殺した」とされる夫や祈祷師は、これから裁判で裁かれます。
思い込みで「殺人」を犯した、という罪です。
これこそが「悪霊」の本当の狙いで、結果的に周囲の人々を苦しめることが出来ました。
この出来事を、狂信的な夫と祈祷師による犯罪ととらえる向きが多いようですが、起こっていた事態はかなり違います。
いずれも、その女性を「現に目の前にいる悪霊から助けようとしていた」のです。
これを自称「霊感師」や新興宗教など、妄想家の起こしたこととみなすと、事態を見誤ります。
私も、目の前で皿が走り出すのを見るまでは、まったく信じませんでした。
残念ながら、「宗教」は「生きている人の暮らし方や考え方の秩序」を説くものなので、こういう場合は、まったく役に立ちません。
お札を貼っても無駄です。
「邪なもの」に乗っ取られないように、自らの心と魂を強くするほかはありません。
その「邪なもの」をどう呼ぶかはどうでも良いことです。
霊魂の存在を信じようと信じまいと、行うべきことは同じです。
信じても信じなくても、また、科学でも宗教でも、解決できないのです。