日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

夢の話 第335夜 悪魔 (その1)

この週末に3夜連続で観た夢です。

金曜の朝のこと。
夢の中でオレが目を醒ますと、オレはどこか知らない部屋の床に直に寝ていた。
オレのすぐ隣には、男が1人しゃがんでいた。
その男が口を開く。

「もうそろそろ良いんじゃね?だいぶ遊んだだろ」
人相が良くない男だ。見るからにヤクザ者だ。
こいつ誰だっけな。見たことがある。
「俺たちのメッセージは伝わってるだろ」

徐々に思い出して来る。
コイツは悪魔だった。
昔からオレの夢に現れては、「仲間に戻れ」とオレを誘う。
「仲間になれ」ではなく、あくまで「戻れ」だ。

「お前は中途半端に人間臭くなってしまった。だから目の前のチャンスをうまくものに出来ない。お前なら、簡単に富や名誉が手に入るのにな。なぜ俺たちに従わない」
昔と同じことを言っている。

こいつはオレがかなり若い頃から、オレの夢に現れていた。
昔から、自分のことを「悪魔」だと言っている。
ただし、人間が言うそれとは少し違う。
「悪魔」は人の命を弄んだり、地獄に送るのを本業としているわけではない。

人はあの世とこの世を行ったり来たりしている。
霊としてのみ存在している時もあれば、肉体の中に宿っていることもある。
肉体の中に留まっている時には、欲望を感じるが、これはそうなるようにセットされているからだ。
となると、人が欲望を感じるのは当たり前だし、ある程度それを解放しても良い。
これが「悪魔」の考え方だ。

もちろん、これに反対する立場もある。
「悪魔」に対置されるのは「非悪魔」だ。
ほとんどの者は「神」を思い浮かべたろうが、「神」は生きている人間が想像で創り出したものだ。
かたちを持たないもので、その存在を証明できるのは「欲望」だけだ。
魂は存在しこそすれ、その存在を証明は出来ない。
「自我」と同じで、「万物の根源」は存在を証明することは出来ないし、する必要もない。
眼は自分が眼であることを自ら目視することが出来ないためだ。
自分の眼を直接見られないのは、「眼が存在しない」わけではなく、単に見られないだけだ。
それと同じように「死後の魂」は存在しないのではなく、生きている間は概ね自由には見られない。

生きている人間にとって、心の中に「存在する」か「存在しない」という言い方が出来るものは「欲望」だけだ。
すなわち、「悪魔」は欲望を肯定する立場なので、この逆は否定する立場、すなわち「非悪魔」なのだ。
数学で言うと、「欲望=悪魔」が「存在する」は「1」で、それを否定するのは「0」すなわち「存在しない」だ。「2」でも「-1」でもない。

ここで悪魔が笑う。
「お前の頭にはちょっと難しい話だな。言い方を変えよう」

人間によって発見された、ただひとつ不変の真理は「神は存在しない」だが、そのことは「神が無いなら、悪魔も存在しない」ことを意味するものではない。
世界には「悪魔が存在する」か「しない」という規則しかないのだ。

となると、オレの前に現れているこの悪魔は「欲望」を体現する者だ。
そして、こいつはオレが元々、自分たちのグループで、自分たちと共に活動すべきだと言っているのだ。

「てなことを言ってるの?」
「そういうこと。もう何度も説明したから、分かってるだろ」

(続く)