日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

夢の話 第337夜 速い男 (2)

続きです。

「ねえ。聞いてんの?」
再び催促すると、ようやくそのメンバーが顔を向けた。
「あれ。何か注文しました?聞こえませんでした」
はっきり言ったのに。
「ビールください」
「はい。すぐに持って来ます」
男が背中を向けて、カウンターの方に去った。

前に向き直ると、ようやく場が進行していた。
もうオレの番だ。
「はい」
牌を切る。

オレの後ろはヤクザ者だが、コイツは反応が早いので、すぐに次に移る。
ところが、対面のオヤジの番になると、また進行が遅くなり始めた。
このオヤジがじっと固まったまま動かないのだ。
またか。
コイツはまだしも、その次のオヤジの番になったら、また時間が止まるだろうな。

ビールはまだか。
カウンターの方に目を向けると、さっきのメンバーはまだ冷蔵庫に手を掛けたところだった。
何やってんだろ。
ビールを取り出してグラスに注ぐのに、5分も10分も掛かりやがる。
「ちぇ」

前に向き直ると、やはりオレの前のオヤジの番で止まっていた。
またもや、このオヤジは牌を持ったまま、空中で動きを止めていた。
そのまま5秒10秒と時間が過ぎる。
オレはいい加減にあきれ果て、カウンターの奥に点いているテレビに目をやった。
夜中のニュースで、女性アナウンサーが映っていた。
「報道番組だな」
しかし、何だか変な感じだった。
「何だろ」
目を止めて様子を見ると、画面が動いていない。
アナウンサーが口を開けたまま静止しているのだ。
「故障か?」
音がまったく聞こえなかった。

テレビの下では、メンバーの若者が扉を開けたままじっとしていた。
再び前を向く。
やはり、上家のオヤジは手を上げたまま静止していた。
「おいおい。いくらなんでもおかしいぞ」
そのままオヤジの様子を見る。

違和感があるのは当たり前だった。
このオヤジは瞬きをしていなかったのだ。
「え?」
対面のオヤジも、下家のヤクザ者も、今は同じように動きを止めていた。
「おい。どうなってんの?」
オレは思わず立ち上がった。

「おい。皆どうしたんだよ」
声を掛けてみたが、誰1人として返事をしない。
奥の卓に座っていた4人も、この店の店長も微動だにせず固まっていた。
「やや。時間が止まっている」
そんな馬鹿な。
しかし、動いているのはオレ1人だった。

「お前ら。生きてんのか」
オレは手を上げたままの上家のオヤジの胸に触ってみた。
動いていない。
そのまま数を数えてみると、「20」のところで、ようやく「と」が始まった。
「と」とは、心臓が血を送る時の「とくん」という音の最初の感触だ。
そうなると死んではいないわけだ。
今の事態を説明出来るのはひとつだけだ。
「オレが、このオレだけが、とてつもなく速く動いているのだ」
これしかない。

オレは椅子から立ち上がり、卓の周りをぐるっと回ってみた。
もし周りの者が普通に行動しているのが、こんな具合に止まって見えるのなら、相手の側から見ればオレの姿はほとんど目で捉えられないはずだ。
オレは1人ずつ後ろに回り、それぞれの手牌を覗いた。
上家のオヤジは手を空中に上げたままだが、手牌の方はてんでばらばらだった。
いったい何を考えていたんだか。
「コイツの頭の中はどうなっているんだろ」

オレみたいに合理的に考え、最短距離で目的に進む人間が、こと麻雀ではカウンティングみたいな技術を駆使しなくてはなかなか勝てない。それは、こういうヤツのせいだ。
3歩進んで2歩下がるどころか、アガリには絶対に近づけない無駄な動き方をしていた。
「こういう誤差があるから、関数の精度が下がるわけだ」
将来を予測するには、パラメータ(媒介変数)を捕捉して、どのパラメータがどのように関わっているかをモデル式に組み込む。ところが、そのモデルの精度を下げるのは、予測不能な誤差項の存在だ。
「このオヤジは、存在そのものがまさに誤差なんだな。人類の誤差だ」
裏側に立って、初めてそのことがよく分かった。

その点、下家のヤクザ者は効率的に局を進めていた。
手牌も整っているし、その上、左の掌の中には牌を余分に隠している。
「なるほど。いざとなったら手を変えたり、あるいは安全牌で使えるわけだ」
他の者より2つも余計に牌を持っていれば、そりゃ負けないって。

まあ、そのことは前から知っていた。
オレは場のどの位置にどの牌が何枚出ているかは、完全に記憶できる。
このヤクザ者は、時々、4枚出切ったはずの牌、すなわち5枚目の牌を、リーチ一発で引き当てることがあるのだ。
ま、河から拾って来ると言うことだが、これがあまりに鮮やかなので、いつもオレは感心して見ている。
その辺は、「お客さん」が別の金持ちたちで、お互いに相手が邪魔にならなければ、ことさらイカサマを言い立てることは無い。
このヤクザ者の方だって、オレが面倒くさいヤツだと知っているから、オレの子とはあえて無視しているのだ。
オレの方も、コイツの方も、その夜の目的を達すれば、すぐにこの場から消えるわけだしね。

(さらに続く)