日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

大切なこと

所用で所沢に出かけたのですが、たまたま次女が通っていた幼稚園の近くを通りかかりました。
辺りはあまり変わってはいないようです。ほぼ十年ぶりですので、門の前で車を停めました。

閉じられた門の前には、電柱があります。
この電柱は・・・。
メガネを掛けることになった次女が他の園児にからかわれ、登園拒否気味になったときの思い出の電柱です。
朝、娘が園に行きたがらないので、父親(私)は娘を肩車し、「トーサンと散歩に行こう」と連れ出し、園の前まで行ったのでした。
門前まで行くと保育士が三人ほど待っていました。
「お父さんはここで結構ですから、お帰りになってください」
事態を悟った娘は険しい表情をしています。
私は請われるまま、背中を向け遠ざかったのですが、やはり心配でたまりません。
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「イヤダ!」と、大きな声。
娘は電柱を抱え込み、動こうとしないのでした。
周りでは保育士たちがやさしく説得しています。
「ゼッタイに嫌だ!」
叫び声がよく聞こえます。
(参ったなあ。)
父親としては、ハラハラドキドキ。
しばらくすると、娘はようやく手を放し、保育士に連れられ園の中に入っていきました。

あれから十年が経ち、次女ももう中学生になってます。
電柱を眺めながら、我知らず涙をこぼしている自分がそこにいました。

人生にとって大切なものは何か。
チャーリー・チャップリンは、「愛と勇気と、サム・マネー」と言いました。幼少期を貧困の中で過ごした彼の言葉は、彼の映画の数々のシーンと相まってとても重く響きます。

しかし、私自身の答えは少し違います。
生きてゆくために大切なものは、時間。
もちろんそれは命の長さや生きること自体ではなく、「大切な誰かと過ごした時間」であり、「自分ではない誰かのために使う時間」なのでしょう。