日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

夢の話 第202夜 死の床にて

これは今朝方の夢です。

気がつくと、床の上に横たわっていました。
板間の上に、ゴザのようなものを敷き、その上に横たわっているのですが、お腹の上にはタオルケット1枚でした。
私が寝ていたのは、8畳くらいの広さの部屋です。
窓が開いており、外の様子が見えます。
庭の向こうには、椰子の木が立ち並んでいました。

ここはどこ?
景色を見る限りでは、どうやら暖かいところらしい。
きっとアジアのどこかです。
外の景色が少し下がっているので、おそらく高床式の家の中にいるのです。
東南アジアでしょうか。

体を起こそうと思うのですが、動きませんでした。
手足をほんの少しだけ動かすことは出来ますが、起き上がることが出来ないのです。
この辺で、少しずつ思い出してきます。
(ああ。私は病気で寝ていたんだ。)

ここは山の中の貧しい村です。
私は女性で、まだ30歳台の前半です。
子どもが2人いて、こちらもまだ5歳と3歳の男の子でした。

首を持ち上げて、お腹のほうを見ると、おへその辺りが大きく膨らんでいました。
なんだか、ひどいことになっています。
悪い病気に罹っていることが一目瞭然です。
「これで動けなくなっているのだわ」
頭の中で響く言葉も女性のものです。

今は夕方で、隣近所の家でご飯の支度をしている匂いが漂ってきます。
「子どもたちに、何か食べさせなくては」
でも、病気になりかけた時に、子どもたちのことをお祖父ちゃんの家に預かってもらったのでした。
これは大丈夫。

なんとなく明日の朝まで、私は持たないのでは。
そればかりか、おそらく、今は医者を呼びに行っている私の母が戻って来るときまで、生きてはいられないような気がします。
「ああ。私は死んでしまう」
目前に近づいてみると、死ぬのは悲しくも怖ろしいことでした。
自分の命が消滅するのが怖ろしいのではなく、まだ幼い子どもたちを置き去りにしてしまうことが、怖ろしいのです。
母親を亡くした後、あの子たちはどうやって生きて行くのでしょう。

そんな悲しみと同時に、取りとめのないことが浮かんできます。
「今お医者さんが来たら恥ずかしいわ」
寝ている間に、私は失禁していたのです。

このまま死んだら、誰がきれいにしてくれるのでしょう。
母?母は心の幼い人だけれど、いずれ泣き終わった後には、私を葬ってくれるでしょうね。
母はまさか自分より先に娘の方が死んでしまうとは思ってもみなかったでしょうに、こんなことになってしまって。

ああ、でも心配なのは子どもたちのほう。
あの子たちはどうなるの。

頬を伝って涙がこぼれます。
その涙を指でぬぐうことも、もはや出来なくなっています。

ここで覚醒。

あまりにもリアルな夢で、私が住んでいた村の具体的な地名も思い出せそうです。
目覚めた後、家人に「昔、女だったような気がする」と言うと、「トーサンにはそんな感じもある。前世を思い出せるなら、その村に行ってみれば?」との返事です。

死ぬと「1個の人間」ではなくなり、同じ魂を持つ霊団の中に入るので、私とこの同じ記憶を共有する人が複数いるだろうと思います。
このため、あの子どもたちを心配しているのは、今の私だけではないはずです。

いったい、いつ頃のことなのでしょうか。
場所のことは何となく思い出せそうな気がしますが、この後どうすれば良いかがわかりません。
同じ仲間で教え合えば、いつかあの村に辿り着けるのかもしれません。