日刊早坂ノボル新聞

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相手の言葉の「3分に耳を傾ける」心構えを持つこと

安倍総理靖国神社を参拝したニュースを見ていて、師のこの言葉を思い出しました。
表題の言葉は、かなり前に亡くなった社会学の師が、生前に弟子たちに向かって言っていた言葉です。
正確な内容は、次の通りです。

「もし自分の言っていることが100%正しくて、相手に全面的な非があると思える時でも、相手の言葉の3分(ぶ)に耳を傾ける心構えを持てば、案外、対人関係は円滑に流れるものだ。」
この場合、耳を傾けるとは、相手の主張するとおりにすることではなく、文字通り、相手の言い分をきちんと聞く姿勢でいることです。

報道では、靖国神社への参拝がもたらす問題について「A級戦犯が合祀されているから、中韓が反発する」と説明しますが、これは間違いです。
靖国神社は、戦没者を悼むための墓地や慰霊施設ではなく、神を祀る神社であり、かつ日中戦争以降の日本のアジア進出をあからさまに肯定しています。
神社の中にある戦争資料を見れば一目瞭然ですが、多くの日本人はこのことを知りません。

すなわち、安倍総理が参拝することの意味は、かつての戦争推進体制を今も支持し、神とあがめる施設に日本の政治指導者が拝みに行くことで、神社の主張する理念を肯定することになります。

神社であれば、あくまで宗教施設なので、本来は個人的にどう思おうが、他人に指図されるいわれはありませんが、総理大臣であれば公人の最たる立場なので、在任中は「私人として」という言い訳は立ちません。
靖国神社でなく、他のどのような信仰についても、公人が宗教行為に加担することは許されません。
「オレはこう信じるから」は通用しません。

もちろん、安倍氏が主張する「国のために安くなった方々を追悼する」ことは、靖国神社に参拝することとイコールではありません。
戦没者霊園や慰霊塔をつくり、亡くなった方の霊を弔うこともできます。

私は郷里に帰ると、実家が檀家となっているお寺に行きますが、そこには戦争で亡くなった方々の位牌が多数並んでいます。その方々は戦死したのですが、弔ってくれる家族が絶えたために無縁仏となり、お墓に入ることも出来ず、骨壺と位牌だけが置かれているのです。
そこには、まだ20歳前後で戦死し、かつ誰も弔ってくれない仏が何百と置かれています。
国のために亡くなった方々の霊を弔う意思があるなら、こういう無縁仏を弔うお墓を作ってもらいたいものですね。
戦没者霊園に手を合わせに行くことに対し、文句を言う人は、おそらく世界中に1人もいません。
そこはお墓で、政治的な主義主張を持たない場所だからです。

靖国に参拝して何が悪い」と言う人は多いですが、たぶん、地域のお寺を訪れたことは無いのでは。
おそらくそこにも、同じような無縁仏が安置されています。
靖国神社に入れてもらえない英霊もたくさんいるのですよ。

さて、今回の行動を見る限り、安倍氏の姿勢については、たぶん、中韓や米国の見ている姿のほうが実像に近いのでしょう。彼は歴史修正主義者で、目的達成のためには戦争を厭わない。
すなわち、安倍氏は、過去の歴史を完全に見直すつもりでいます。
これは、日本国が普通の国になるために必要なステップだからです。
この後、尖閣で偶発的な交戦が起こったりしたら、安倍氏万々歳です。
外国の脅威に対抗し、日本国を守るためには、憲法を変え、軍を整備することが必要で、これに反対する国民はいなくなります。

「オレは自分が正しいと思うことをする」では、紛争は敵対する側を殲滅しなくては終わらない。
双方で同じような考え方をするのであれば、間違いなく近いうちに戦争が起きます。

私も普段は中韓を批判的に見ている側ですが、さすがに今回は、安倍氏は他人の心情を汲む気持ちがさらさらないのだな、と悟りました。
中韓の主張が、身勝手なものだという雰囲気が焙り出されてきた時期なのに、あえてその時期に敵に塩を送るとは、本当に愚かな話です。
首相の在任期間は、せいぜい2、3年で、参拝は首相を辞めてからでも、何の問題もありません。
安倍氏は「頑迷」という言葉がどういう意味なのかを、身を持って示してくれたように感じます。

日清戦争の時、遼東半島だったと思いますが、日本の将校は無為無策に正面突撃を繰り返して、大量の戦死者を出しました。指導者が頑迷であれば、多くそういうことになるだろうと感じます。