日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

夢の話 第344夜 ヒヨドリ

 久々に土曜日に遠出をしたのですが、帰路はやはりかなり疲れ、帰宅すると同時に倒れるように寝入ってしまいました。
 深夜になって目覚めたのですが、これは目覚める直前に観ていた夢です。

 夢の中で瞼を開くと、すぐ前に女性が座っていて、自分の体験談を話していました。
 これはその女性のモノローグです。、

 この話は、最近、私と私の夫が経験した不思議な体験の話です。
 私と夫は、十二年前にこの島にやって来ました。人口減少の防止対策として移住者の募集が行われたので、それに応じたのでした。
 家屋は既に人が住まなくなった家を無償で貰いました。畑も付いており、そこで耕作を再開させると、様々な補助が得られます。
 夫は山の斜面を利用し果樹を育成する一方で、従来この島では作られていなかった作物を畑で栽培しました。
 この島の緯度は比較的高いところにありますが、暖流が届いていることもあり温暖です。
 このため、涼しい気候の下で採れる野菜と、南国風の果実の両方を作る事が出来ました。
 こう書くと、当初より移住生活がうまく言ったように聞こえますが、もちろん、初めは人並みならぬ苦労をしました。
 何せ、定期便は週に二度だけで、作物を運ぶ手立てが限られていたのです。
 このため、使われていなかった畑を掘り起し、山に果物の樹を植えるだけでなく、販売ルートが課題として残っていたのですが、これは七年前に島の反対側がリゾート開発されることで、著しく進展しました。
 定期便が増え、島を訪れる観光客も増えましたので、販売所に置かせて貰うことが出来、さらに本土にも出荷出来るようになったのです。
 経営が完全に軌道に乗ったのが五年前で、その頃には果物や野菜の収穫も安定するようになったのです。

 ただし、私たちには生産や販売でない別の問題もありました。
 まず一つ目は害鳥です。
 十二年前、この島には数百人の島民しか住んでいませんでしたが、これが三倍に増えました。
 農業生産も活発になり、多くの畑が再利用されるようになったのですが、それと共に、渡り鳥も戻って来るようになりました。
 その代表がヒヨドリです。
 ヒヨドリが初めてここにやって来たのが、十年くらい前で、台風の影響でした。
 台風でヒヨドリの進路が著しく妨害され、たまたま数十羽がこの島に避難したのです。
 それが翌年から二倍になり、あっと言う間に何千羽の規模になりました。
 ヒヨドリが渡る時期は、果物が実る季節とはずれていますのでこちらは大丈夫ですが、概ね畑に春野菜を播種した後の時期に当たりますので、新芽が食べられてしまうのです。
 昨年はついに夫が腹を立て、ヒヨドリの駆除を試みました。
 夫はヒヨドリが毎年立ち寄る大きなアカギの樹に罠を仕掛けました。
 根元にバラバラと木の実を撒いて置き、ヒヨドリが集まったところで、上から網を落とす仕掛けです。
 網は島を出て行った漁民の廃屋にパッチ網が残っていましたので、これを使いました。
 私は夫の企てを知らずにいたのですが、たまたま夫がヒヨドリを捕まえた直後に、その場に行きました。
 夫が捕まえた鳥の数は一千羽近くに達します。
 夫はこの鳥をケージに入れ、思案していました。
 私は夫の傍に歩み寄って尋ねました。
「このヒヨドリたちをどうするつもりなの?」
 夫は渋い表情です。
「害鳥だからね。このまま殺してしまおうかと思っている。こいつらのおかげで農作物の被害が尋常ではないくらい増えているから」
「でも、渡り鳥なんだから、元々悪気があってここに来たわけじゃないよ。播種の時期を少し変えるとか、ビニールを張るとか出来るんじゃないの」
「費用が馬鹿にならないだろ。これまでやっとの思いで蓄えたお金が、ヒヨドリ対策のために消えてしまうじゃないか」
 夫の言う事ももっともです。
 夫と私はこれまで、昼となく夜となく働いて来たのです。

 この時、私はケージの中にいるヒヨドリたちに目を遣りました。
 すると、この小さな騒がしい鳥たちが、今は声を立てず、私のことを見ていました。
 まるで、自分たちが、これからすぐに殺される事を悟っているような表情です。
 私はこの時、初めて夫に対し強く意見しました。
「お父さん。これが何万羽の規模になったら、私たちはとても耐えられないけれど、今はまだ大丈夫。新芽の時期だけ、畑を覆ってみようよ。元々、私たちがこの島に来たのは、果樹栽培で大儲けする為じゃなかったじゃない」
 そう。生き方の問題だ。
 私と夫は自然と共に生きる暮らしを望んでここに来たのだった。
 ヒヨドリだって、その自然の一部なのだ。
 私の言葉に、夫が頷く。
「分かった。ひとまずお前の言う通りにしてみよう」
 ふう、と夫は溜息を吐いた。
「お前が言ってくれて良かった。俺はこんなに沢山の鳥を殺すのかと、途方に暮れていたところなんだ」
 そこで私たちは、ケージの扉を開きました。
 ヒヨドリたちは一斉に外に出ると、大空に舞い上がりました。
 そして、先程の沈黙がまるで嘘だったかのように、騒がしく囀り始めたのです。

 今の私たちには別の問題もあります。
 島のリゾート開発が進むことは良いことで、経済が活性化されました。
 この数年、この島には沢山のサーファーやダイバーが訪れるようになっています。
 しかし、その中にはやはりマナーを守らない者もいます。
 テレビ番組をまねて、自分勝手に魚貝類を採ってみたり、山の果実や果樹を持ち去るのです。
 ここは無人島ではなく、すべて漁業者や農業者の管理下にあるのですが、そのことが理解出来ない者もたくさんいます。
 果樹園が荒らされるようになったので、夫は朝夕、見回りに行くようになりました。
 畑にはきちんと、「個人の農園です」と書いてありますが、旅先の解放感から守らない者もいるのです。
 そういう者は、夫に注意されると、逆ギレすることもあり、何度か口論になったりもしました。

 さて、今日お話しするのは、こういう中で起こった不思議な話です。
 これは半年くらい前のことです。
 いつものように夫が見回りに行くと、若者たちが勝手にマンゴを採っていました。
時期的にまだ青いマンゴですが、サラダにするのにはそれくらいが最適なのです。
 夫が注意すると、あろうことか、その人たちは夫に言い返してきました。
 さらに、その若者たちは単に言い返すばかりではなく、夫を囲んで殴る蹴るの暴力を振るったのです。
 夫はこの時、ろっ骨を二本折る重傷を負いました。
「殺されるかとも思った」と言っていました。

 ところが、夫がその男たちに殴られていると、突然、ヒヨドリの大群が飛んで来て、若者たちに襲い掛かったのです。
 何千羽のヒヨドリたちに襲われ、若者たちは大怪我をして病院に運ばれました。

 夫が襲われた果樹園は、あのアカギの大木の反対側にあります。
 そのアカギの樹からは、果樹園の様子が良く見えます。
 夫は毎年、そのアカギの樹の根元に、沢山の木の実を置いていました。畑の被害を防止する策の一環として置いたので、餌付けの意味はありません。
ただ、食べ物が近くにあれば、ヒヨドリたちが畑を荒らさないだろうと思ったのでした。

 夫はその日のことを思い出し、よくこんな話をします。
 「ヒヨドリたちは俺には目もくれず、若者たちだけを襲っていた。おそらく、きちんと分かっていてやったことだ」
 私は、夫の言う通り、あの時、夫がヒヨドリたちの命を助けたり、木の実を置いたことなどを、ヒヨドリたちがきちんと理解していたのだと思います。
 それで、あのヒヨドリたちは、窮地に立つ夫のことを眼にして、助けに来ててくれたのではないかと思うのです。

 女性の話はこれで終わりだった。

 ここで覚醒。

前日の会話の中の単語やイメージを記憶しており、睡眠中にこれを再構築してドラマを作ったようです。

さて、夢を記憶していると、自分でも知らない「自分自身の本心」が分かったり、無意識のうちに察知している危険をはっきりさせることが出来るようです。
通常は目覚めた後、短時間のうちに忘れてしまうのですが、これを忘れないようにするコツがあります。

◎眠気の深さの波を知る
脳が全部眠ることは無いので、夢自体はずっと観ています。ただし、起床時に思い出せるのは、やはり眠りが浅い時の夢です。自分の眠りがいつ浅くなるか、時間帯を憶えておく必要があります。

◎自ら起きる
夢を観ている中で、自分の意識と繋がりそうになる時があります。
この時に「目覚めよう」と決め、自ら覚醒すると、直前の夢を憶えています。
浅く寝ている時に「目覚めよう」と考えられるかどうかは、練習次第です。 

◎夢判断をあてにしない
夢を心理学的に解説する研究書や解説書の類は山ほどありますが、あまり見ない方が良いです。
心理学の基本は欧米から来ており、キリスト教の考え方に従っています。
共通の認識そのものが違っていることがありますし、夢を観る本人によって見え方も違います。
辞書を引くように考えると、血液型気性判断みたいになってしまいます。
一般化するための「説」は必要ありません。

私の場合は、その時の心の起伏を、夢でドラマ化することが多いので、結構楽しんでますね。