日刊早坂ノボル新聞

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◎夢の話 第601夜 人身御供

◎夢の話 第601夜 人身御供
 4日の午前3時に観た夢です。

 龍仙院正法寺の慈啓は、頭脳明晰にして、法力、霊力を兼ね備えた名僧である。
 ひと度世人が前に座れば、慈啓はその者の悩み事を瞬時に言い当て、解法に導いた。
 世人は正法寺門前に列を成し、慈啓の法話を聞き、お導きを受けた。
 その慈啓が齢九十にして死ぬと、次第に参詣客の足が遠のき、寺の運営が立ち行かなくなった。
 そこで、「慈啓の跡を継ぐ者が必要だ」ということになり、跡継ぎを定めることになった。
 跡継ぎには、完全に慈啓を引き継げられる者が望ましい。
 そういう事情で、常に慈啓の背後に立ち、その様子を見ていた照々(しょうじょう)僧都に白羽の矢が立った。
 照々は法力霊力とも持ち合わせていなかったが、見よう見まねながら、慈啓のごとく人をあしらうことが出来たからである。
 照々僧都は相談者が来ると、まず入り口で小坊主にその概要を聞き取らせた。
 その隣の間には別の僧がいて、その話の内容を盗み聞きし、すぐさま照々に知らせる。
 相談者が照々の前に座ると、すぐさま照々が相談内容を言い当てる。
 そんな段取りだ。
 「お導き」の方も簡単で、概ね「親族の霊が守ってくれるから精進せよ」で話が済む。
 相手が少しでも疑いを持つようなら、照々は「拙僧はそなたの守護霊の声を聞いた。それを信じぬのか」と恫喝した。
 慈啓が大僧正を務めていた頃とはだいぶ違うが、高僧が語ることでもあり、世人はそれなりに集まるようになった。
 
 ところが、事態が少し変わったのは、三年目のことである。
 この頃には、照々は数多の経験を積んでいたので、自分なりに自信を深めていた。
 しかし、この年は天候が不順で、三月から五月まで一滴の雨も降らなかった。
 作物の種を蒔くには限界の頃が近付き、百姓たちが正法寺に押し寄せた。
 「どうか雨を降らせて下さい」
 僧に対し雨乞いをするのは筋違いなのであるが、しかし百姓たちも必死である。
 門前には、何百人もの百姓が集まるようになった。
 日々、百姓たちの不満が募るさまを見て、照々は雨乞いの儀式を行うことにした。
 長らく霊力のある「ふり」をして来たので、照々自らが「霊力がある」と錯覚するようになっていたのである。
 照々は竜神沼の辺に護摩壇を構え、そこで三日三晩の間、読経をした。
 
 しかし、相手は天候である。
 いくら読経をしたところで是非もない。
 「お前は偽者だ」
 百姓たちが口々に叫んで、自分に襲い掛かって来る。
 そんな場面を想像し、照々はついに恐怖を覚えた。
 そこで、照々は、苦し紛れに「この沼の主が怒っているから、雨が降らぬ。竜神さまを慰めれば、必ず雨が降る」と弁明した。
 何の根拠も無い、ただの言い訳である。
 ところが、その話を聞いて、はたと膝を叩いた者がいた。
 それは、この村の古老で、竜神沼の古い言い伝えを記憶していたのだ。
 「日照りが長く続いた時は、竜神さまに人身御供を差し上げれば、お怒りが鎮まる。若い娘を捧げれば、きっと雨が降る」
 その話を聞くと、その場には歓喜の表情が溢れた。
 ようやく解決策が見つかったのだ。
 「皆を助けるためだもの。喜んで命を捧げてしかるべきだ」
 百姓たちは、急いで生贄を決めるための籤を作り始めた。

 その様子を眺めていた照々僧都は、内心で「しまった」と叫んだ。
 自身が口にした苦し紛れの言い訳が、思わぬ方向に向かってしまったからである。
 僧侶として、人身御供を認めるのはさすがに憚られる。
 「ちょっと待ってくれ」
 照々は皆を押し留めようとしたが、しかし、百姓たちは聞く耳を持たない。
 口々に「僧正さまの言い付けだ」と叫びながら、生贄を探しにその場から立ち去った。
 その翌日。村人の中から一人の娘が選ばれ、竜神沼に連れて行かれた。
 娘が納得するはずも無く、泣き叫ぼうとするのだが、しかし、娘は口に猿轡をかまされ、体を縄でぐるぐる巻きにされている。声を上げようにも、如何ともしがたい。
 村人は沼の中心部に娘の体を運ぶと、それを泥の中に放り込んだ。
 不思議なことに、その日の午後から空が曇り始め、夕方には夕立が落ち始めた。
 その雨は夜になっても降り止まず、大地に水が行き渡った。
 百姓たちは大喜びに喜び、正法寺に沢山の供物を届けた。
 照々としては、「生贄を与えよ」と言ったつもりはなく、後ろめたい気持ちがあったが、その反面、自身の霊力に対する自信もさらに深まった。

 ところが、一息吐けたのも数日だけのことだった。
 人身御供を捧げた日から十日経っても、二十日経っても雨が止まなかったのだ。
 川は氾濫し、田畑が濁流で流された。
 雨は三十日経っても止まず、再び百姓たちが正法寺に詰め掛けた。
 「僧正さま、僧正さま。これでは降り過ぎです。どうか雨を止めて下さい」
 「僧正さまのお力で雨が降ったのだもの。きっと雨も降り止ますことが出来まするな」
 照々僧都は致し方なく、寺の中央に護摩壇を置いて、祈祷を始めた。
 そうして、一日が経ち、二日経ち、三日が経過した。

 こうなると、やはり祈祷の効果をいぶかしむ声が上がるようになる。
 「一向に雨は止む気配がない。いったいどうしたのだ」
 「僧正さまのお力は本物だろうか」
 こんな疑念をあからさまに口にする者が現れた。
 寺の僧職たちも、次第によそよそしい態度を取るようになって来た。
 「やはり見習いは見習いだったか。何の力も持たぬ」
 「親族の霊とか守護霊と話をするだとか、それこそ作り話だったな」
 こういう非難が最高潮に達し、ついに百姓たちが怒り始めた。
 「旱魃を鎮めるために、言い付け通り、若い娘を生贄にしたのに、今度は長雨だ。これでは旱魃の時と何ひとつ変わらぬ。今度は誰を捧げよと申すのか」
 「ここは僧正さまに責任を取ってもらうべきだ」
 
 百姓たちの殺伐とした会話を、照々は廊下の隅で耳に留めた。
 「万事休すとはこのことか」
 照々を守ってくれるのは仲間の僧侶たちであるべきだが、しかし、今は半ば見捨てられた立場となっていた。
 夜になり、百姓たちが松明の火を掲げて、寺に押し寄せた。
 「僧正を出せ」「僧正を人身御供にする」
 その声を聞き、照々は鴨居に縄を掛け、それで首を吊った。
 百姓たちは、照々が自殺したことを知ると、その屍を外に引きずり出し、山門前の松の大木に吊るし直した。
 本当に不思議なことは、その翌日に起きた。
 照々僧都を松の木に吊るした夜が明け、朝になってみると、あれほど降り続いた雨がぴたりと止んでいたのだ。
 どんとはれ。
 ここで覚醒。

 それから程なく、子どもたちの間でこんな歌が流行るようになった。
 もちろん、「てるてる坊主てる坊主・・・」の歌ということです。
 きちんと、坊さんを吊るしもします。
 信じるか信じないは、あなた次第です(大笑)。
 
 この夢の話は、改めて丁寧に書き直すことにしました。
 寄寿姫(または依寿姫)伝説の前日譚に出来そうです。