日刊早坂ノボル新聞

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『死の国』ノート 12)霊界はどんなところ

『死の国』ノート 12)霊界はどんなところ
 話し手:神谷龍慶、聞き手:早坂ノボル

■霊界はどこにある
(早坂)「私は八年前に大掛かりな手術を受けたのですが、危うく命を落とすところでした。手術中は目を瞑っていたのですが、その最中に不思議なものを観ました」
(神谷)「ほう。あえて不思議なものというには、麻酔の影響などではないということですね」
(早坂)「心カテーテル手術でしたので、全身麻酔を受けてはいません。意識自体はずっとあったのです」
(神谷)「それはどんなものでしたか」
(早坂)「我に返ると、私が立っていたのはトンネルの中でした。前後左右とも真っ暗で、灯りらしきものが何もありません。なす術も無く佇んでいると、遠くの方に光が見えました。爪の先という表現がありますが、ちょうどそのくらいです。じっとしていても仕方がないので、光の見える方向に歩き出しました。長い長い距離です。一体、どれくらい歩いたのかは、自分でも分かりません。暗がりですので、周りを確かめながら歩いていると、あちこちにシャボン玉のようなものが浮いていました。最初は数個でしたが、目を凝らすと、数十、数百の球が漂っています。手の届くところにもありましたので、手を伸ばして触ってみたのです。すると」
(神谷)「何が起きました?」
(早坂)「シャボン玉の中に入っていたのは、昔の記憶です。子どもの頃の出来事で、今は忘れてしまっていたのですが、それを思い出しました。たぶん、あれは皆そうで、記憶を整理するためのものですね」
(神谷)「思い出と言っても、出来事そのものではなく、心境ではなかったですか。その時々の気持ちです」
(早坂)「小学校の入学式の時に、式が終わったら、母の姿が見えませんでした。そこで、私は置き去りにされたのかと考え、独りで二キロ離れた家に駆け戻ったのです。玉の中に見えたのは その時の切ない気持ちでした。その時の心持ちを思い出していたのです。たぶん、あの玉のひとつ一つに心の記憶が入っているのでしょう」
(神谷)「そのトンネルを抜けると、何がありましたか」

■三途の川
(早坂)「何だか、今回は私の方が語っていますね。さて、そのトンネルを抜けると、荒れ果てた砂漠に出ました。風景の大半が岩でしたので、岩石砂漠と言えます。まるで火星の景色のような寂しいところです。その砂漠をとぼとぼと歩いていると、不意に川に出ました。川幅が二十辰砲睨?燭覆い茲Δ幣川です。川の向こう岸には葦のような背丈の高い草が生えており、先は見えません。その時、私は『向こう岸はどうなっているんだろう』と思いました。すると、次の瞬間、葦の葉を掻き分けて、男の人が姿を現したのです。顔を見れば、その人は十年前に亡くなった私の叔父でした。この時、私はこの川がいわゆる三途の川で、向こう側はあの世なのだと悟りました」

■川の向こうには
(早坂)「叔父は右手を上げ、横の方を指差したのです。そちらに視線を向けると、こちら側のずっと先に小山があり、その上からは遠くまで見渡せそうでした。そこで、私はその方向に向かって歩き、小山に上りました。山の高さは三十辰らいだったでしょうか。その上に立ってみると、向こう岸の葦原の先が見えました」
(神谷)「そこに何が見えました?」
(早坂)「緑色の草原です。なだらかな丘陵と青い空が見えました。その空には沢山の雲が浮かんでいましたが、雲は塊ごとに黄色だったりピンク色だったりしました。インドのお寺には極彩色の造形物が沢山置かれていますが、あの色に似ています。私はその時、ぼんやりと『さすがインド人はあの世のことが分かっている』と感心したのです。下に視線を移すと、草原には幾人かの人が歩いていました。皆、背中を向けていましたので、たぶん、川を越えて向こう岸に渡り、雲を目指しているのです。その予想の通り、その人たちは、空を漂う雲の真下に入ると、ひゅうっと上に飛び上がり、雲に吸い込まれて行きました。各々が自分に適した雲を選んでいるような印象でした」
(神谷)「その雲をどのようなものとお考えですか」
(早坂)「あれは何万もの霊が集まって出来た霊の塊だと思います。昔、スウェーデンボルグという人が、人が死んで霊界に行くと、自分と同じような仲間のいる霊団に入ると言っていましたが、それだと思います」
(神谷)「まず順を追って説明しますと、早坂さんはその時、死んではいません。夢うつつの状態にありましたが、しかし、死の国の境目にいた。それで、インスピレーションを得たのです」
(早坂)「実際にあのような世界があるわけでは無いのですか」
(神谷)「霊界ではかたちはあまり意味がありません。早坂さんが見たもので象徴的なものは、トンネル、砂漠、川、草原などですが、昔から死後の世界の入り口にあると語られてきたものです。このため、早坂さんはそれらの記憶を呼び起こして、死後の世界のイメージを描いた。そういうことだろうと思われます」
(早坂)「私自身が作りだしたイメージですか」
(神谷)「そうです。ですが、完全な想像や妄想の産物でもありません。死んで魂だけの存在になるが、死後の世界にも仲間がいて、それらと一体化する。そういう示唆があるのです。その夢は『案ずるな』というメッセージなのです。様々なアイテムは早坂さん自身がそれを受け入れるために、馴染みやすいものを配列したということです」
(早坂)「死ぬと魂はあの霊雲に向かう。そのことで人は孤独から解放される。そういうメッセージなのですか」

■自我からの解放
(神谷)「霊界の海の中にも濃淡や温度差はあります。ひとの魂はその中で自身に適した場所を選び、そこに向かいます。すると、自我の殻から完全に解放されて、他の魂と合流し、本来の霊となります。ここでは『わたし』と『われわれ』の違いはありません。ひとり一人の要素は総て含まれますが、同時に全体がひとつなのです。その様子が、早坂さんには『雲』として見えた。それがどのように見えるかは、ひとそれぞれです。イメージはそれぞれ違いますが、個が消失し、皆がひとつになるという意味は同じです」
(早坂)「なるほど。生きている者にとっては、『見て分かる』『見れば分かる』ことが重要ですが、あの世では見えるものが真実とは限らない。ここは非常に繊細で、説明が難しいところです」
(神谷)「こだわりを捨て、穏やかに死ねば、たちどころに分かります。何せ霊界に行き、霊団に入った、その瞬間に何百万人分もの知恵を共有するわけです。まさに羯諦羯諦ということです」