日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎寄り添う女

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◎寄り添う女


◎寄り添う女

  前回、ここに来た時に「女が見ている」と書いたが、その直感は外れてはいなかった。「そこにいた」のではなく、私が連れて歩いているのではないかと思うが、いずれにせよ「見ていた」のは同じだ。

  今はこういうのも「別にフツー」の域に入って来た。

  幽霊は何かをする・したい・出来るわけではなく、ただひとに寄り添っている。

 元々、 幽霊は自分に似たものがあると感じた時に、その傍に寄ろうとする傾向がある。

  悪意を持つ者には、悪意を持つ幽霊が近寄って来る。

  このため、怒りや絶望を抱えた者は、そういう気持ちが増幅されてしまう。

  しかし、うまく折り合いをつければ、さしたる問題は生じないし、上手に立ち回れば、死期を遅らせることさえ出来る。これは私を見ての通りだ。

  ほとんどの人は信じ難いと思うが、現実に起きている。

 

  ひとは自分の理解できる範囲を超えたものが現われると、「まずは否定し」、「理解できる理由を当てはめる」。それが出来ない場合は「相手を疑い」、最後は「自分を疑う」。

  私も想定外のことが起きた時は、「俺の頭は確かなのか」と疑うことがある。

  しかし、細かいことは別として、「確実に何かがそこにいる」ことには疑いない。

  今回の「大きな女」も、これまで幾度か姿を現しているが、どういう目的で現われるのかが、いまだによく分からない。

  ちなみに、こういうのを自称霊能者に見せると、やっぱり「大変なことになりますよ」みたいなことを言い始める(笑)。いつも書く通り、この手のことが何か「凶事の前触れ」なら、数十年前に私に起きていなければならない。

  申し訳ないが、「霊能者」の多くは無能者だと思う。ただ想像や妄想を語るだけだ。「能力」があるのなら、いつでもパッと出して見せられるはずだ。

 

  あと少し生きていられれば、既に亡くなっているひとを「出して見せられる」ようになると思う。これはイタコみたいに口真似をするのではなく、今現在の「姿を見せられる」という意味だ。

  しかし、幽霊として存在し続けているのであれば、あまり良い状態ではない。

  執着心があるから、その姿を保っているわけだ。

  何も出ず、何も起きないのが、実は「もっとも望ましい状態」だ。

  そういう意味では、「霊など存在しない」と思えるのであれば、それで良い。実際、ひとを選んで現われるから、そういうひとにはまったく見えず聞こえない。

  そのことは、ある意味、「お気楽に生きられる」ということだ。