◎「寄り添う女」は何時からいるのか
数日前、S温泉の玄関に現われた女の影は、これまでも幾度か私の傍に現われている。
そこで、画像の中を検索し、時系列的に並べてみた。
最初は3年前のO町だろう。
温泉旅館の前で家人を撮影すると、後ろの方に女性の人影が写っていた。
ガラスに映る姿だから、私の後ろにいたことになる。
実際にはこれより以前からいるのかもしれないが、証拠を取り置いていない。
日光と反射光が交差すると、「この世ならぬ者」が写ることには、この頃初めて気付いたのだ。
2度目は今年の1月だ。
最初の写真では、顔が不鮮明だったが、私は可視域が少し広いので、顔の造作も分かる。
2回目に写ったのは左眼だけだが、同じ女性だと思う。
ほとんどの人は顔かたちが見えない筈だが、かなりの美人だ。
3度目は今年の3月で、私に「危機」訪れていた時だ。
この時は、首の無い別の女が私に付きまとい、私の死を願っていた。
実際、この当時は体調が著しく悪く、「もう幾らも持たない」と思っていた。
この日の夕方、いつも訪れる神社に参拝したのだが、私の背後に白い服の女がいて、私を抱きかかえるように手を回している。不鮮明だが、髪型や服装から同じ女だと分かる。
4度目は再びO町の温泉旅館だ。
この旅館はお湯が滑らかなので時々訪れるが、館内にいる間、いつも「カヤカヤ」と人が話す声が聞こえる。浴槽の中でも聞こえるので、現実の人の声では無いと思う。
この時は家人もその人声を聞いていた。
玄関の前でガラスに映る自分を撮影すると、背後に女が立っていた。白い服で髪
が肩くらいまでなので、いつもの女だと分かる。
1枚目はよく見えない筈だが、2枚目は割と姿が見えていた。
2枚目はフラッシュを使ったのだが、「光の波長や強度によって鮮明になる」ことがこれで分かる。
これくらいの画像だと、私には細かいところまではっきり見える。
そして5度目が数日前だ。
やはり私の背後に立ち、背中に着くくらい寄り添っている。
指が5本見えるので、誰でも確認出来ると思う。
時系列的に並べてみると、幾つか分かることがある。
まず、昨年から集中的に現われ始めており、「次第に近くに寄って来ている」ことだ。
次は、私の体調が悪く、「死期の到来を感じている時に現われている」ことだ。
3月、8月には、私の周りに「お迎え」らしき人影が多数現われ、夜中に声を掛けられていた。
幾度も書くとおり、幽霊が「幽界の住人」である限り、「守護霊」みたいなものは存在しない。その先の「霊界」には自我すらも無くなるのだから、事実上、「存在しない」と言い切っても良い。
これまで、この領域に語られてきた「※※霊」みたいな存在は、ほぼことごとく存在しないと言える。総てがひとの想像や妄想、そして願望から生まれたものだ。
だが、「仲間」のようなものはあるのだろう。
同じような心情を抱える者は互いに寄り添い、自我を強化する。
あるいはもっと進んで、複数が同化・合体してひとつになることも多い。
この女性も元はひとりではなく、複数が同化したものだと思う。
そして、私に近いところがあるから、傍にいようとする。
大昔の断片的な記憶が見えたりするところを見ると、同じ人格を共有しているのかもしれない。かつて同一人(の要素)だったことがあるのだ。
自分がこの女性に抱き付かれていたりするのを見ると、当初は背筋が寒くなった。
この世の者ではないのだから当たり前だ。
ところが、多く世間で語られるような不都合なことなど、まったく起きない。
それどころか、私の死期を遅らせることに関わっているようなふしがある。
幾らかは「私(の自我・人格)」と重なっている可能性もある。
これまでは幽霊(幽界の住人)を避けることばかり考えて来たが、8月の末に「この後は仲間になる」と宣言した。
もはや仲間になったのだから、この女性も大手を振って現われるようになるのではないかと思う。
その反面、日常的に起きていた諸々の異常が、今はあまり起きなくなった。
「仲間」になったので、自分たちの存在を知らしめて、勧誘する必要が無くなったのかもしれぬ。
以前は「私には助けられませんので、近くに来ないで下さい」と言っていたのが、今は「俺がそこから連れ出し助けてあげます」と言うようになった。
そのせいもあるのかどうかは分からないが、8月末までと今はまるで違う。
ちなみに、あの世のことを理解しつつも、十分に敬意を払わぬ者が同じことをすると、相手に「乗られて」しまい苦労すると思う。
慣れぬ者は関わろうとせぬ方が無難だ。
私はここまで来るのに何十年も掛かっている。幽霊を初めて見たのは小学生の時だった。