日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ご供養行脚(427)

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ご供養行脚

◎ご供養行脚(427)
 木曜の午後、病院から帰ると、すぐにまた外出することにした。
 あちこちに溜まっているものを全部きれいにするためだ。
 このため、フルコースで最近、「メッセージ」のあった場所を回るものとした。

 まずは前回の日帰り温泉だ。
 この日は営業日だったから、迷惑にならないように、周囲に人がいなくなるタイミングを待ち、祈願した。
 「俺の後をついてくれば、そこから出られる。5㍍後ろをついて来い」
 たぶん、幾つかは助けてやれる。
 この時には気付かなかったが、帰宅後、画像を開いてみると、「巨大な女」が私の後ろに立っていた。
 ぴったりと寄り添うように立っていたから、最初、私は腹を立てた。
 「おい。俺に近付くなと言ってあるだろうに」
 しかし、よく見ると、この女はどこかで見たことがある。
 すぐに思い出した。
 「O町の温泉旅館の玄関で、俺の後ろに立っていた女だ」
 あの時は白い着物のような服を身に着けていた。たぶん、巫女装束だろう。
 あるいはドレスなのかもしれないが、そういうのはあまり重要ではない。

「なるほど。ずっと俺と一緒にいたわけだ」
 まるで「守護霊」とか「守護天使」みたいな感じだが、そんなものは存在しない。 幽界には社会も組織も無いからだ。
 それでも、「仲間」のようなものはある。
 そしてその「仲間になる」と私は宣言したから、今も生きている(たぶん)。

 女の全身は見えなくとも、右手の手指の先は誰にでも見える筈だ。
 この女性は、昔、山岳信仰のリーダーで、何千人も信徒を抱えていたのではないかと思う。死んだ後もなお、「導き」を続けている。
 神社の鳥居の前で、猫のトラはいち早く私を見つけ、神殿まで誘導したのだが、それをさせたのはこの女性なのではないか。
 同じ装束の女が信徒たちを導き、山中を歩く夢を時々観る。

 「では、幽界で迷っている霊を『助けよう』とさせるのは、この女の意思なのか」
 ま、それが何にせよ、この後は、ひとつ所に閉じ込められている幽霊を先導し、そこから出してやることにしている。
 同じ場所に留まらせるのは、自分自身の執着心だから、それを外し、外に連れ出すだけで、多くの幽霊が前に進める。

 温泉施設を出ると、Hに向かった。
 ここでも比較的最近になり、「助けて」というメッセージを貰った場所だ。
 車には既に乗っている先客がいるので、「そのままちょっと待っていてくれ。もう幾人か乗せるから、席を詰めてな」と言い残して車を出た。
 「さて、連れてくぞ。俺には関わらないように後ろについて来い」
 ここは湿気が多く、画像にはもくもくと水煙が写る。

 そこから神社だ。
 「沢山歩いているから、この先は分かるだろう。ここで降りろ」と口に出して言う。
 言葉に出さないと、相手には伝わらない。
 幾らかはそこで自我を解き放つが、まだそう出来ない者もいる。
 そういうのは、他に行くところが無いから私の傍にいる。
 家に帰るとガタピシと音が鳴り、あちこちにひとの気配がある。
生きている者に迷惑を掛けなければ、別に問題は無い。

 この日の画像で、はっきりと存在を確認出来るのは、私の背後の女性だけだ。
 他は曖昧で、「気のせい」の範囲内になる。もちろん、「他の人が見れば」という意味で、私にとっては違う。

 母もトラも去ったが、別の「仲間」の所在を自覚したので、今は精神的に安定している。
 車で移動する際に、うまく乗れた者が「ようやく出られる」と喜んでいるのが、私にも伝わって来て、同じように心が躍った。