日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「その後の赤黒い天保銭」

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赤黒い薩摩銭

◎古貨幣迷宮事件簿 「その後の赤黒い天保銭」

 画像の薩摩天保については、前記事より二か月以上経過したが、その間、さらに地肌が赤黒く変色した。暗所で他の銭とぴったり合わさって仕舞われていたものが、空気にさらされることにより、一気に酸化し始めたようだ。

 そろそろ、薩摩銭の赤色変化の範疇を逸脱するのではないかと思われる。

 地金そのものは、薩摩銭本来に見られる配合であろうが、どことなく出来が悪い。

 砂が残っているし、輪側の仕上げも荒い。

 ま、一年もすればはっきりすると思われるが、そんなに待ってはいられない。

 目安は、1)薩摩銭のバリエーションのひとつ、2)焼けた薩摩銭、3)写し、ということだろうが、何らかの判断を下す必要がある。

 そこで改めて見直してみたが、「写し」を疑う限りでは、最初に背、次に輪側を観察するのがセオリーだ。要するに「製作手順(=工法)」の相違を観察することが基本になる。

 ま、天保銭に限らず穴銭全般において「裏から見よ」は共通の観察法ではある。面を見るのは、「銭型」を眺めることになるのだが、そんなのは何時でも出来る。

 

 この品では、文字周辺に砂范のヘゲが見られることと、砂がいくらか下部に付着していた。文字の周りのヘゲは南部大字に頻繁にみられる特徴で参考になるが、それをもって判断材料とするには当たらない。

 背面下部には砂が残っており、砂磨きが十分ではなかったようだ。

 輪側はもっさりしており、肉眼では極印の所在が分からない。

 少し拡大すると、微かに極印の痕跡が覗いている。

 薩摩銭は割と輪側の線条痕が深い(強く仕上げている)のだが、その分ある程度統一性が取れている。それに比べると、当品は雑な印象だ。

 

 赤黒い薩摩銭については、昔は「秋田写し」と見なされることが多かった。これは古色外見が秋田天保に似ていたことによる。

 ところが、山内天保の大字の金色にも酷似しているので、「南部写し」と見なされるようになった。製作の類似性からみると、浄法寺山内に関連している可能性が高い。

 ただ、従前は地金が赤色であることをもって、「写し」とされることが多かったのだが、実際には薩摩銭にも赤色のものが散見されるので、注意が必要だ。

 

 当品は面背に限れば、「まだ薩摩銭のうち」なのだが、輪側の鑢跡と極印を見ると判断が揺らぐ。とりわけ、極印は打極したものではないように見える(痕跡のみ)。

 いずれにせよ、一年くらいすれば、さらに赤黒くなり、「写し」に化けるだろうとは思う。

 古貨幣の多くは、必ずしも事実とは言えぬ印象、すなわちファンタジーで出来ている。