日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(日高) 妄想を抱く理由  (125日目の参拝)

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最近、また妄想がぶり返してきました。
空想と妄想の違いは、前者が頭の中だけに生じるイメージで、後者はそれを見る本人にとっては現実そのものであることです。
「妄想」を見る理由は、主に「薬物のもたらす効果」、「脳または精神の障害」、「老化や病気」などです。

前にも書きましたが、夏目漱石は死の間際に、頻繁に妄想を見るようになり、誰もいない庭に向かって「うるさい!」と叫んだとか。
私の知人の70台後半と80歳の男性は、死ぬ数か月前には、粗暴な振る舞いが止まらなくなったので、家族によって入院させられたと聞きます。壁に灰皿を投げつけたり、テーブルをひっくり返したりしたようですが、なぜそんな粗暴な振る舞いに及んだかについては、本人は「死神が来るので追い払っている」と答えた模様です。
要するに、身体機能が落ちて、死ぬのが近くなったので「死神の姿を見る」ようになったということです。

妄想が妄想であるうちは、単に病的傾向で済ませられますが、これが現実と結びついてしまうことがあります。
例えば、次のような事例です。
玄関のドアをノックする音が聞こえる。
誰か来たのかと思い、ドアのところに行くと、外で咳払いの声が聞こえる。
知っている人の気配です。
「ああ、父親が来たのか」とドアを開きますが、外には誰も居ません。
「おかしいな」と思いつつ居間に戻るのですが、数時間後にまったく同じ音と気配がして、今度は本当にその当人が訪れる。
ここまで来ると、ただの妄想ではなくて、第六感や直感に近くなります。

昨日、「この数日、視野に子どもやお婆さんの姿が見える」と書きましたが、「もしかして何か伝えたいことがあるのかも」と、いつでも薬を取り出せるような状態にして置きました。
いつもは胸にピルケースのペンダントを下げていますが、心不全が起きた時には1分程度で意識を失うことがありますので間に合いません。
ハンコ入れのようなものに入れ、蓋を開けて置くと、具合が悪くなった時に30秒で口に含むことが出来ます。

今日は近くに買い物に出たのですが、車に乗るとすぐに異変を感じました。
そこで、すぐにニトロ錠剤を口に含み、休憩しました。
この何か月かの間、発作は起きていませんでしたので、少し慌てました。
しかし、ある程度予期していたので、事なきを得ました。

こうなると、やはり、この世のものならぬ妄想を見るのは、生命力が下がっていることのサインだろうと思います。
心臓の発作は、ひと度通り過ぎると、あとは何ともありません。

「また生き残ったかあ」
しかし、こういう予感がある時は、車に乗ってはならないことを思い知りました。
運転中なら、重大事故に繋がってしまいます。
さらに、妄想を見るようになったら、「まずは行動を控える」ように決めました。

帰路は高麗神社に行き、125日目の参拝をしました。
トラちゃんは、鳥居の前にいて寝そべっていました。
今日はお仕事の日らしく、おやつを食べると、またそそくさと鳥居の前に行って座ります。
その姿は、まるで「仕事をしている」という自覚を持っているかのような振る舞い方でした。

その姿を眺めていて、次作の結末が浮かんできました。
題名は『猫の男』と訂正しますが、数日中に書き終えることが出来ると思います。