◎鏡
今は新聞連載の4か月先の話を書いているのですが、一戸の西方寺の僧が出て来ます。
中世・戦国には西方寺が実在し、その後、焼失・再建を経て、今は「西法寺」という地名だけが残っています。
何度もこの寺のことを書いているのですが、西方寺の遺跡があるのかどうかすら知りません。
どうにも気になったので、行くことにしました。
まずは沼宮内の御堂観音に参拝し、一戸へ。
一戸の産直に寄りましたが、蕎麦屋は売り切れだし、寒干大根はまだ売っていませんでした。
カーナビを頼りに、西法寺に着くと、そこは一戸駅の周辺でした。
あれま。これなら何十回も来ていますね。
そこから二戸に回り、お土産を買って帰りました。
途中で、つくづくと「俺がこんなにこの土地のことを愛していることを、ここの人はまったく知らんだろうな」と思いました。
一戸の街並みなどは、通る度にハッとします。
昭和のまま時間が止まっているようで、本当に美しい。
しかし、自分の立場は、たぶん「鏡」なのだろうとも思います。人は鏡を見て、そこに自分自身を見る訳です。
その像が美しければ、「なんて私はきれいなの」と思うし、気に入らなければ、「この鏡は良くない。歪んでいる」と考える。
随分不公平なようですが、しかし、鏡はそういうものなのです。