盛岡タイムス 元日号 「北斗英雄伝」スペシャル 概要
『北斗英雄伝』─燃え落ちる宮野城─
この戦。関白に打ち勝つ為のものに非ず、民を救うが為のものなるぞ。
◇宮野城包囲までのあらすじ◇
疾風と小次郎は日戸内膳の密命により、糠部の情勢を把握する為、三戸偵察に出発した。山館を出発した疾風と小次郎は、毘沙門党一味に襲われるが、疾風が盗賊をあっさりと倒す。
二人は瀕死の女人に頼まれ、たまたまそこで出会った上方侍の三好平八と共に、葛西衆の子どもを捜しに向かう。首尾よく男児一人を見つけ出したが、気がつくと狼の一群に囲まれていた。一行は窮地に陥るが、なんとか狼の攻撃を切り抜ける。
二人は瀕死の女人に頼まれ、たまたまそこで出会った上方侍の三好平八と共に、葛西衆の子どもを捜しに向かう。首尾よく男児一人を見つけ出したが、気がつくと狼の一群に囲まれていた。一行は窮地に陥るが、なんとか狼の攻撃を切り抜ける。
その夜、三好平八は前年の登米寺池城で起こったことを夢に見る。
目覚めた平八は、疾風たちにかつて自らの見た豊臣秀吉の姿を語るが、秀吉は手指が六本、黒目が左右二つずつの凶相の持ち主だった。
疾風一行は九戸を経由し三戸に到着した。
翌朝、伊勢屋には毘沙門党が復讐のために押し寄せる。疾風は首領・赤平虎一の他、主だった者を斬った。
盗賊退治とはいえ街中で人を斬るのは法に触れる。このため疾風は調べのため、三戸の留ヶ崎城に連行された。そこで疾風は北信愛の策謀により、東一刀斎という剣士と決闘させられることになる。
疾風は重傷を負わされるが、この決闘で東を倒す。
疾風一行は三戸を脱するが、追手に追いつかれそうになる。そこへ、工藤右馬之助が現れ敵を追い払う。一行は右馬之助の手引きで二戸宮野(九戸)城へ入った。
正月十二日になると三戸南部では年賀式が開かれた。三戸南部は、この式に参列しない「九戸将監らの叛意が明らか」であると決めつけ、直ちに宮野城への攻撃命令が下された。
十五日に出陣、十七日には城攻めが開始された。宮野城内の守備は手薄だったが、工藤右馬之助の尽力により、九戸党は三戸勢を撃退した。
南部信直による九戸侵攻を撃退した後、小康状態のまま閏一月を経て二月になる。
十五日に出陣、十七日には城攻めが開始された。宮野城内の守備は手薄だったが、工藤右馬之助の尽力により、九戸党は三戸勢を撃退した。
南部信直による九戸侵攻を撃退した後、小康状態のまま閏一月を経て二月になる。
法師岡館主・櫛引清政は自領に帰り、兄の清長と供に報復を企図し、櫛引一族単独で、九戸攻めの惣大将であった南盛義のいる浅水城を攻めることを決めた。
櫛引勢は計略をもって南盛義と、その弟康政をおびき出し、二人の首級を上げた。
一戸の町を出たところでは、毘沙門党の赤平兄弟の妹・紅蜘蛛お蓮が待ち構えていた。疾風は七八人を倒したもののお蓮は取り逃がす。
北奥の情勢はさらに緊迫しており、南部信直の手の者が各地を徘徊していた。
九戸党は上方から三戸に鉄砲が届く前に、北郡の七戸家国、櫛引との連絡を確保すべく、伝法寺城、苫米地館を攻め、一戸城を無血開城することを企図していた。
疾風は鶴千代、三好平八と共に津軽に向け旅立った。
「今のままでは関白の不興を買い、改易にされかねぬ」と考えた信直は、北秀愛を呼び出し、九戸党の討伐を重ねて命じた。
権太夫は試合に勝ち残り、毛馬内の巨漢・成田彦右衛門や浅石清四郎を倒した。
一行はさらに北上するが、小坂で毘沙門党の窮奇郎、紅蜘蛛が襲ってくる。疾風はこの攻撃を切り抜け、津軽大浦城に入った。
帰路、疾風一行は三戸の伊勢屋を訪れる。疾風は、お晶、若菜という娘二人を、宮野城まで連れて行くことにした。
この頃、一戸城では城主の一戸図書が家臣たちに、この後は政実に与することを告げていた。
この命に応じ、城の外に出た者の中には、三戸から派遣されていた小平左近がいた。小平左近は田子に集結する三戸軍中の兄・月館隠岐に報じた。
三月十三日には、まず七戸家国が津村伝右衛門を攻め、羽立館を落とした。津村は伝法寺館に移り防戦に努める。津村が城を出て血路を開こうとした時、七戸軍は包囲を解き、撤収した。
同日、櫛引清長は西進を開始し、高橋館を落とし、苫米地館を包囲した。苫米地館主の苫米地因幡は降伏をせず徹底抗戦を決意する。乱戦が繰り広げられるが、櫛引勢は突如として兵を退き去ってゆく。
五戸又重館には、九戸実親が騎馬二百をもって説得に赴いたが、館主の木村伊勢は政実の鎧を身に着けた実親を恐れるあまり、話し合いに応じず突如として攻撃を開始した。
この三城攻撃の知らせが届くと、鳥海にいた三戸軍は直ちに一戸城を包囲する。城内に手引きする者があり、一戸図書が落命し、城は三戸の手中に落ちた。
九戸政実は七戸家国に一戸城の再奪還を命じ、自らは疾風や天魔源左衛門(卍)らを従え、密かに鳥海の南部信直の元を訪れる。自陣内に政実が現れるとは思ってもみなかった信直は、心の底から仰天した。
同日、櫛引清長は西進を開始し、高橋館を落とし、苫米地館を包囲した。苫米地館主の苫米地因幡は降伏をせず徹底抗戦を決意する。乱戦が繰り広げられるが、櫛引勢は突如として兵を退き去ってゆく。
五戸又重館には、九戸実親が騎馬二百をもって説得に赴いたが、館主の木村伊勢は政実の鎧を身に着けた実親を恐れるあまり、話し合いに応じず突如として攻撃を開始した。
この三城攻撃の知らせが届くと、鳥海にいた三戸軍は直ちに一戸城を包囲する。城内に手引きする者があり、一戸図書が落命し、城は三戸の手中に落ちた。
九戸政実は七戸家国に一戸城の再奪還を命じ、自らは疾風や天魔源左衛門(卍)らを従え、密かに鳥海の南部信直の元を訪れる。自陣内に政実が現れるとは思ってもみなかった信直は、心の底から仰天した。
南部信直は鳥海古城を脱出し、三戸に向け撤退を始めた。
この時、七戸家国は一戸城を包囲し、工藤右馬之助に北秀愛を狙撃させた。
三戸の援軍が到着し、北信愛が本丸に入る。医者は、北秀愛がもはや再起不能であることを信愛に告げた。
三月十六日の昼過ぎ。政実は敵方の鉄砲輸送隊を志和と岩手の間で襲撃することを疾風に命じる。
疾風は、岩泉から参じた東孫六、平八、権太夫と共に、岩手郡に向かう。
三月十六日の昼過ぎ。政実は敵方の鉄砲輸送隊を志和と岩手の間で襲撃することを疾風に命じる。
疾風は、岩泉から参じた東孫六、平八、権太夫と共に、岩手郡に向かう。
日戸館では、疾風は主の内膳に対し、三戸方に加わるべきことを進言する。
しかしその一方で、自らは内膳の配下を脱し、宮野に参じることを申し出た。
内膳は、葛姫を娶ることと、玉山重光(常陸)を悩ます鬼を退治すること、の二つを条件に、疾風の離脱を認めた。
疾風一行は、玉山小次郎の案内で、鬼の棲む山に登るが、そこにいたのは鬼ではなく、雛にも稀な美女であった。疾風はこの女人を「仙鬼」と名づけ、六人目の仲間として迎え入れる。
疾風一行は、玉山小次郎の案内で、鬼の棲む山に登るが、そこにいたのは鬼ではなく、雛にも稀な美女であった。疾風はこの女人を「仙鬼」と名づけ、六人目の仲間として迎え入れる。
疾風は工藤右馬之助と共に鉄砲輸送隊を襲撃し、これを撃破する。鉄砲隊の最後尾には、火薬師の李相虎(イ・サンホ)が繋がれていたが、李は「秀吉を倒す」という言葉に呼応し、七人目の仲間として加わる。
ここに五右衛門党が誕生した。
天正十九年四月二十日。工藤右馬之助は、晴山館に向かう途中、民家に野武士が立て篭もっているところに出くわす。紅蜘蛛お蓮が人質の子どもを救おうとしているのを見て、右馬之助はお蓮に加勢する。野武士は和賀から落ちてきた地侍で、右馬之助の説得により投降した。
この時、右馬之助とお蓮は、互いに対し宿縁を感じた。
お蓮は「縁があるなら必ず巡り会うもの」という、かつての恋人の言葉を思い出し、右馬之助に心惹かれていく。
この時、右馬之助とお蓮は、互いに対し宿縁を感じた。
お蓮は「縁があるなら必ず巡り会うもの」という、かつての恋人の言葉を思い出し、右馬之助に心惹かれていく。
天正十九年五月。九戸政実は南部信直の分断作戦を見抜き、櫛引、七戸を宮野城に召還するものとした。この伝達のために、疾風、平八、権太夫の三人が北に向かった。
三人は法師岡に赴き、櫛引清政に政実の命を伝える。清政は同意するが、妻の篠は櫛引の名誉を守り九戸党を支えるため、自らは館に残ると主張した。一度言い出したら梃子でも動かぬ妻であり、清政は渋々了承し宮野に発った。
三人は法師岡に赴き、櫛引清政に政実の命を伝える。清政は同意するが、妻の篠は櫛引の名誉を守り九戸党を支えるため、自らは館に残ると主張した。一度言い出したら梃子でも動かぬ妻であり、清政は渋々了承し宮野に発った。
すぐさま空城同然の法師岡館を八戸軍が取り囲んだ。館内の守備兵はわずか十八人である。しかし、篠は降伏せず篭城する。
八戸軍は法師岡館をなかなか落とせずにいたが、策を講じ「宮野城が落城し櫛引清政は討ち死にした」との噂を流す。これにより動揺した館兵は降伏すべく開門する。
疾風は毘沙門党の力を利用しつつ沼宮内城を攻め、七人の仲間でこれを落とす。
羽柴秀次は奥州の賊軍中に三好の幟が掲げられていることを知る。秀吉の凶状に不安を感じる秀次は、かつて一度会ったことのある三好平八との再会を熱望する。三好家に養子に入った秀次は、平八とは義兄弟の間柄と言っても良かったのだ。
京の羽柴秀吉は、己の意に従おうとせぬ者が北奥にいることを知り激怒する。
秀吉による第二次奥州仕置きが発令され、
政実は上方との全面戦争を決意する。
多くの犠牲を払うことになるのは必至である。政実は苦悩するが、北奥の民を一人でも多く守り通すことを目指し尽力する。
浄法寺修理は信直、北信愛の考え方に反発しつつ、一族の存亡の掛かる選択に迷う。
離反した弟の左京亮は、側近の反対を押し切り鹿倉館に駆けつけようとする。しかし、鹿倉館に対する攻撃と見誤られ、味方となるはずの大湯勢に攻められて命を落とした。大湯四郎左衛門は大光寺の攻撃を受け、鹿倉館を脱出し宮野に向う。
五万を優に超える上方・北奥連合軍が宮野城の周囲を取り囲み、激しい攻防戦が始まった。