日刊早坂ノボル新聞

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(北斗英雄伝)元日特集の記事 その2

盛岡タイムス 元日号 「北斗英雄伝」スペシャル  概要続き
 『北斗英雄伝』─燃え落ちる宮野城─
この戦。関白に打ち勝つ為のものに非ず、民を救うが為のものなるぞ。
 
[沼宮内・一戸攻防戦]
 天正十九年八月九日。京の聚楽第の奥深くに、廊下を這いずり回る異様な姿の生き物がいた。着物を跳ね除けて現れたその顔は、関白秀吉のものである。秀吉は、実子鶴松丸が幼くして死んだことで、我を忘れ暴れていた。
 前田利家はこの秀吉の様子を見て、災いが身に降り掛からぬよう、秀吉の関心を朝鮮・唐征伐に向かわせることを決意する。
 同日の昼過ぎ。東孫六と知仁太、お晶、若菜と子ども二人は、宮野城の若狭館を出発し津軽を目指した。
 途中、大湯の手前で、一行は東中務の軍勢に出くわす。孫六は知仁太らを宮野に帰し、一人で東勢一千人余に立ち向かう。孫六は二十名以上の敵兵を倒すが、鉄砲隊の銃弾により倒される。
 
天正十九年八月十八日。上方軍の蒲生先遣隊三千騎が沼宮内口に布陣した。
 攻め手の軍大将は、蒲生四郎兵衛(郷安)である。四郎兵衛の命により、騎馬兵は山頂の北館と、南館下からの二手に分かれ、城内に攻め入るものとした。
 一戸城を攻め倦んでいた蒲生四郎兵衛は、二十一日に攻撃を再開した。
 四郎兵衛は城の周りに火を掛け、疾風が草叢に仕掛けた罠を除去する。
 蒲生四郎兵衛は、総勢二万五千を超える勢力となった征討軍を率い、沼宮内城に総攻撃を仕掛ける。
 
 天正十九年八月二十二日。昼過ぎに台風が到来し、豪風雨が吹き荒れた。
 蒲生兵が中に攻め入った時に城を爆破し、損害を与えることが疾風らの狙いであったが、南郭の爆破は成功し、敵に多大な損害を与えた。
 しかし数に勝る蒲生軍は大手門口から主郭に攻め入る。山ノ上権太夫は、高台の上にあった大岩を押し動かし、下の道に落とした。その直後、敵の鉄砲隊の一斉射撃が加えられ、権太夫と仙鬼の二人は銃弾に倒れる。
 瀕死の権太夫は、三好平八に「鬼関白を倒し、北奥の民を救ってけろ」と乞い、独りその場に留まり自爆した。
 
 天正十九年八月二十五日の朝。蒲生四郎兵衛の命により、先手第一陣の五千兵が一戸城への攻撃を開始した。
 蒲生軍が城に攻め入ると、北館、八幡館は程無く落ち、合戦の中心は神明館に移った。この神明館での攻防戦は熾烈を極めた。
 蒲生軍の発射する銃弾は、館を守る九戸兵の頭の上に雨霰と降り注ぐ。
 工藤右馬之助は、守備兵を抜け穴から脱出させ、神明館に仕掛けた爆薬の導火線に火を点ける。蒲生兵に間近に迫られた右馬之助と紅蜘蛛の二人が、物陰から飛び出ると、神明館の主館で大爆発が起こった。
右馬之助の左の肩には、爆風で飛んで来た木の破片が深く突き刺さる。
 紅蜘蛛は右馬之助を救おうと引き摺り始めるが、女子の力では無理である。紅蜘蛛は疾風に右馬之助を背負い城を脱出するよう懇願する。二人が脱した後、紅蜘蛛は爆薬に火を点け、穴を爆破した。
 
 疾風と右馬之助が楢山に近付くと、騎馬武者の一団がそこで待っていた。
 九戸政実の率いる黒騎馬隊が、一戸城の火攻めの策を見届けに来たのである。
 大湯四郎左衛門、櫛引清政ら、九戸党の武将の多くが、この山裾に顔を揃えていた。
 火攻めが完成しようとした時、政実以下の九戸党は、領民が今だその中に残っていることを知る。
この戦。関白に打ち勝つ為のものに非ず、民を救うが為のものなるぞ
 政実はそう断じ、五右衛門党に民の救出を命じた。
 知仁太は城下の渡り橋に走り、今まさに橋を爆破しようとしていた李相虎を制止した。
 政実は一戸城の火攻めが未完成に終わったことを確かめると、黒騎馬隊を西に逃がす。
 
[この後の展開]
 征討軍全軍が宮野城の周囲に到着し、城攻めが開始される。
 政実は徹底抗戦を図り、征討軍を苦しめる。戦が長引き、さらに被害が増えることを畏れた蒲生氏郷は、開城に向けての手立てを模索する。
 氏郷が長興寺和尚・薩天を交渉に差し向けると、意外にも政実はあっさりとこれに応じる。
 開城の前夜、蒲生氏郷と浅野長吉の前に現れた政実は、開口一番に「我が降伏の条件は、一に南部信直の所領の安堵である」と申し出る。
 宿敵とも言える信直の所領安堵を願う政実の姿勢を、氏郷は大いに訝しく思う。
しかし、翌日になり、氏郷が宮野城に入ると、さらに驚くべき事態が待っていたのであった。
(画像等は省略しました。)