日刊早坂ノボル新聞

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其の七 雷鳴の章

其の七 雷鳴の章

◇この章のあらすじ
 疾風は小次郎に「政実が宮野登城を要請している」ことを聞き、すぐに日戸郷を出発する。沼宮内では小柄な相撲取りの山の上権太夫、小鳥谷では孤児を拾っては寺に届けるお芳など、戦国を生きぬく様々な人々に出会う。
 一戸の町を出たところでは、毘沙門党の赤平兄弟の妹・紅蜘蛛お蓮一味が待ち構えていた。疾風は七八人を倒したもののお蓮は取り逃がす。
 疾風は二戸宮野城で、政実から「津軽大浦城へ子どもを1人連れて行く」ことを依頼される。これに同行するのは、正月に岩泉で共に狼と戦った三好平八であった。
 一方、北奥の情勢はさらに緊迫しており、南部信直の手の者が各地を徘徊していた。九戸党は上方から三戸に鉄砲が届く前に、北郡の七戸家国、櫛引との連絡を確保すべく、伝法寺城、苫米地館を攻め、一戸城の無血開城を企図していた。
 疾風は、政実から預けられた鶴次郎少年、三好平八と共に、宮野を旅立つのであった。

◇登場人物氏名(登場順。○は三戸側、▲は九戸側、□■※は氏名不詳に対する仮名または創作上のキャラクター。黒は九戸側、※は何れにも属さない者)
■厨川五右衛門宗忠(=疾風、30歳台前半):岩手郡姫神山の麓の領主・日戸内膳の配下で武術の達人。
▲→○日戸内膳 :岩手郡地侍で実在の人物。九戸の戦いでは三戸方の武将として戦いに参加する。
▲→○玉山小次郎(17歳) :日戸内膳配下の玉山重光(後の玉山常陸)の甥。後に三戸南部氏の配下となり、九戸戦の軍功により兵庫を拝命する。この時点では、厨川五右衛門(疾風)の弟子である。
■葛姫(17歳くらい):日戸内膳の養女で碧眼の美女。熊に殺された「山の者」(アイヌ)の子で内膳に育てられる。疾風に心を寄せている。
■雷(いかずち):旅を通じ疾風と心をひとつにしてゆく愛馬。
■山ノ上権太夫:五尺ちょっとの小柄な相撲取りで、陸奥各地の神社で奉納相撲に出ることで褒賞金を稼ぐのを生業としている。渋民の生まれ。 
※お芳(24歳くらい):日頃、戦乱で親を亡くした孤児を拾っては西方寺に届けている謎の娘。氏素性は不明である。
※伊勢屋藤吉(60歳):北奥の豪商で、三戸では道楽半分に娼館を営んでいる。侍以上に気骨のある老人である。
※口入れ屋の松:三戸から閉伊までの範囲で用人の世話をする狐眼の男。毘沙門党に近い立場の者である。
※紅蜘蛛お蓮(28歳):疾風が倒した毘沙門党の虎一、熊三の義妹。縄術を使いこなす。
※五郎助:紅蜘蛛が子どもの頃から世話をしてきた親代わりの老人。元は商人であったが、妻子を失くしてから酒びたりで身を持ち崩し、毘沙門党の仲間になった者。
▲九戸隼人正実親(49歳):政実の弟で、豪胆かつ気さくな性格。宮野城の誰にも好かれている。
▲久慈政則(37歳):政実の弟で、久慈直治の女婿となり久慈氏を継ぎ、陸奥久慈城主となる。
▲大里修理亮(しゅりのすけ)親基(修理太夫とも、40歳):鹿角大里館主。かつては三戸南部の命により、鹿角戦で前線に立ったが、南部の横暴に耐え切れず安東の手勢に加わった者。鹿角戦の後は九戸方となる。
▲高屋(こうけ)将監:九戸方の将で詳細不詳。
▲晴山治部(じぶ):軽米大野の地侍
○大浦為信:津軽大浦城主。元は三戸南部家の家臣(久慈氏系)の立場であったが、南部晴政の命で石川高信を攻め殺した後に津軽三郡の主となった。石川高信は九戸政実との共通の敵であり、これが縁で政実の盟友となっている。
▲■天魔源左衛門:七戸家国の家臣で、乱破衆(忍者)。天魔一族の男子の多くは「源左衛門」を称するが、この男の通称は「卐(まんじ:ただし右卍)」となっている。前年に死んだ者は兄。他に弟と子の「源左衛門」がいる。
■三好平八(45歳) :元は上方侍で三好康長の隠し子。葛西・大崎の一揆に乗じて北奥に落ち延びる。疾風と行動を共にすることにより、自己を取り戻した。
▲薩天和尚:九戸伊保内長興寺の住職。政実とは幼馴染である。
■▲鶴次郎:現段階で氏名は不詳で、「鶴次郎」は長興寺住職薩天和尚のつけた仮名である。政実の妾腹の子ではあるが長男と推定される。津軽側の記録によれば長子は「鶴千代」で、長じて九戸市左衛門となる。津軽(大浦)家に入ることにより、九戸家は幕末まで命脈を保つことになる。

<ひと言コメント>
三戸と九戸との戦いは、いよいよ全面戦争に突入していきます。
戦争の準備のため、各地には密偵が暗躍するようになりますが、政実は北信愛が上方に発注した鉄砲が届く前に、七戸家国や櫛引勢との防衛線を確立すべく、伝法寺、苫米地への攻撃を承認しました。自らは数日中にも一戸城の開城を企図しています。
政実は万が一に備え、己の血筋を引く者を津軽大浦に送りました。この部分は推定ですが、現実に弘前藩には「恩人の血筋」として九戸を名乗る者が、幕末まで代々禄を与えられていきます。
この章にで出てきませんが、これと同時に工藤右馬之助も斯波の中野修理康実(政実の弟)の元に、子を1人送り届けています。こちらも伝承自体は存在します。
盛岡タイムスでの掲載時期は10月下旬からになります。