日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎親子で似ていること

◎親子で似ていること
 家人は「炊き込みご飯のレシピを覚えたい」という目的で、駅前の総菜屋で2ヶ月間アルバイトをしたことがあります。
 プロのレシピを習得するだけでなく、お給料も貰える。
 普通は学校とか講習に習いに行くのですが、発想が逆です。
 数ヶ月前に、息子は家人に「太りすぎ」を指摘されると、数日の内にバイト先を決めて来ました。
 工場の配送のバイトで、朝から晩まで体を使います。
 3ヶ月が経つと、お腹がだいぶスリムになって来ました。
 そうなってみて、初めて「なるほど。これが目的だったのか」と理解しました。
 痩せるのに、ジョギングをしたり、プールに通うのではなく、積み下ろしの仕事をするという発想は母親譲りだろうと思います。朝の8時から夜の9時頃まで段ボールを積んだり下ろしたりしているらしい。
 4月から学校が始まるので、2月で辞めるらしいが、当分、お小遣いを親から貰わずに済むくらい貯金が出来ていますね。

 息子は夜中の2時から3時の間に、いつも「ううん。ううん」とうなされています。どうやら悪夢を観ている模様。
 こちらは父親の方に似ているので、どこかで身の処し方を教える必要がありそう。
 修学旅行の写真には、ふんだんに煙玉が写っていたので、そういうのが「遺伝する」というのは本当らしいです。

 ところで、小学生の頃、頻繁に観ていた夢は「ダンプカーに撥ねられる夢」です。
 当時は国道をダンプカーがひっきりなしに往来していたのですが、道を渡るのに、かなりぎりぎりのタイミングで走って渡りました。
 同じ状況を夢に観るわけですが、夢の中では、ダンプに撥ねられてしまいます。体にバンパーの辺りが当たり、20辰らい飛ばされる。
 その度毎に、空中で「ああ。俺は昭和26年にこうやって死んだっけな」と思うのです。
 その感覚がリアル過ぎて、昼に起きている時の自分と、夢の中の自分の「どちらが本物なのか」分からなくなるほどでした。
 そのせいで、子どもの頃の記憶を辿ると、どれが現実でどれが夢の話なのか、区別がつかないものがあります。
 今考えると、「両方とも自分」だろうと思います。
 6歳位で事故死した「自分」についても、両親がどういう人で、それまでどんな暮らしをしていたか、等を詳細に思い出すことが出来ます。
 最後はやや脱線しました。

 今夜は少し体が楽なので、朝まで机に向かえそう。
 最近は寝たり起きたりで、椅子に座っていられるのは滅多にありません。