日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎少し実証に近付く(415)

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◎少し実証に近付く(415)
 このところ体調が今ひとつ。
 さしたることも出来ないので、神社に参拝することにしました。
 いつもの神社なら、片道20分で行けます。

 外鳥居の前で、ふと気が付きました。
 「周囲の環境を記録しておけば、実証に近づけられるかもしれないな」
 あまりにリアルに写ると、それが幽霊なのか、たまたま後ろから人が来たのか、判断がつかなくなることがあります。
 「誰もいない」という証拠を残しておけば、迷いが無くなります。
 この場合の「証拠」とは、自分に対するものですので、念のため。
 私は自分自身で撮影していますので、フェイクが入り込む余地がありません。
 また誰か第三者に説明するためにやっているのではなく、自分がよりよく理解し、「延命」もしくは「上手に死ぬ」方法を確立するために考究しているのです。

 神殿前には参拝客がいましたので、その人たちが去るまで15分ほど待ちました。
 人気が無くなったところで撮影したのですが、やはりいつも通り人影が写ります。
 こういうのはもう慣れましたので、何とも思わなくなりました。

 幽霊は可視域からほんのちょっと外側に出たところにいることが多く、肉眼では見えなくとも、カメラに写る事があります。赤外線撮影の時よりも、通常撮影で写る方が多いので、おそらく「ほんの少し可視域の外」であることは疑いありません。

 姿かたちはどろどろと怖ろしかったりしますが、害はほとんどありません。
 自身の執着心から、かつての感情を反芻しているので、それが外見に反映されているのです。 
 
 手水場に男性がいるのは、たぶん、私しか分かりません。
 よって、「気のせい」「妄想」と同じです。
 しかし、ガラスに映った男女の姿は、見える人の方が多いのではないかと思います。
 実際には、そこに人はいませんでした。

 この後の改善点は、1)まず周囲の状況を360度ビデオに撮り、その後、2)直ちに写真を撮影する、というものです。
 今は毎回のように人影が写りますので、存在を実証する助けになるのではないかと思います。