◎一人多い(456)
所用のついでに紅葉を見ようと、聖天院に行った。
紅葉はまだ始まったばかりで、それほど色がついていない。
本堂にお参りしたいところだが、このお寺は階段がキツい。
既に冬となり、心臓の調子がイマイチだから、もはやここの階段は上れなくなっている。
山門のところで失礼させて貰った。
神社に寄ると、ちょうどお昼時だったが、車が一杯入っていた。
やはりこの時期は七五三だ。
子ども連れの親子が沢山来ている。
さりげなく撮影させて貰ったが、参拝客が多いので、「実在の人物」なのか、「現実には居ない人」なのかを判別するのが難しい。
ここは駅の構内と同じで、混雑時にはよく「別のもの」が混じっているのだが、人が多いと気付き難くなる。
1枚だけ、人数の合わない画像があった。
私の前には三人しかいないのに、人影は四人写っている。
ただし、ま、斜めから撮っているので、さらに逆方向の人が写り込んだ可能性があるから、何とも言えないところだ。
存在しない筈の者が生者に触ったり、もたれたりすることはよくあり、私自身についても幾つかを報告してある。そして、「さしたる意味は無い」ことも分っている。
互いが、単なる「通行人」(または「通行霊」)であれば、相互に影響を及ぼすことはほとんどない。
sて、可視域の少し外を撮るには、これくらいの光量が必要だが、鮮明に写れば写るほど、実在の人との区別がつき難くなる。
あまりにも実物っぽくて、「鞄を斜めに提げているじゃないか」と指摘したいところだが、どっこいあの世の住人でも、鞄を持つくらいは当たり前だ。
自転車に乗っていたりするから、困ったものだ。一体どこからそれを出したのか。
「あの世」について調べれば調べるほど、疑問が湧き出て来る。
何せ、「遺恨を残して亡くなった者だけでなく、ごく普通に死んだものも、当たり前のように姿を現す」。要するに、幽霊になるのは特別なことではなく、「大半の死者がそのステップを通過する」と見たほうが正しいと思う。
となると、生きているうちに「死に方」について充分に用意しておく必要がある。
今日の画像では、私自身には何ひとつ問題が無いようだ。
これならしばらくは大丈夫だと思う。
死期が近づいている時には、その匂いを嗅ぎ取って、様々なものが寄って来る。
今はそれがない。
その意味では、差し迫った危機はないと思う。もちろん、それも「このひと月」とかの期間ではあるわけだが。