日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎一人多い(456)

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11月24日撮影

◎一人多い(456)

 所用のついでに紅葉を見ようと、聖天院に行った。

 紅葉はまだ始まったばかりで、それほど色がついていない。

 本堂にお参りしたいところだが、このお寺は階段がキツい。

 既に冬となり、心臓の調子がイマイチだから、もはやここの階段は上れなくなっている。

 山門のところで失礼させて貰った。

 

 神社に寄ると、ちょうどお昼時だったが、車が一杯入っていた。

 やはりこの時期は七五三だ。

 子ども連れの親子が沢山来ている。

 

 さりげなく撮影させて貰ったが、参拝客が多いので、「実在の人物」なのか、「現実には居ない人」なのかを判別するのが難しい。

 ここは駅の構内と同じで、混雑時にはよく「別のもの」が混じっているのだが、人が多いと気付き難くなる。

 

 1枚だけ、人数の合わない画像があった。

 私の前には三人しかいないのに、人影は四人写っている。

 ただし、ま、斜めから撮っているので、さらに逆方向の人が写り込んだ可能性があるから、何とも言えないところだ。

 存在しない筈の者が生者に触ったり、もたれたりすることはよくあり、私自身についても幾つかを報告してある。そして、「さしたる意味は無い」ことも分っている。

 互いが、単なる「通行人」(または「通行霊」)であれば、相互に影響を及ぼすことはほとんどない。

 

 sて、可視域の少し外を撮るには、これくらいの光量が必要だが、鮮明に写れば写るほど、実在の人との区別がつき難くなる。

 あまりにも実物っぽくて、「鞄を斜めに提げているじゃないか」と指摘したいところだが、どっこいあの世の住人でも、鞄を持つくらいは当たり前だ。

 自転車に乗っていたりするから、困ったものだ。一体どこからそれを出したのか。

 「あの世」について調べれば調べるほど、疑問が湧き出て来る。

 

 何せ、「遺恨を残して亡くなった者だけでなく、ごく普通に死んだものも、当たり前のように姿を現す」。要するに、幽霊になるのは特別なことではなく、「大半の死者がそのステップを通過する」と見たほうが正しいと思う。

 となると、生きているうちに「死に方」について充分に用意しておく必要がある。

 

 今日の画像では、私自身には何ひとつ問題が無いようだ。

 これならしばらくは大丈夫だと思う。

 死期が近づいている時には、その匂いを嗅ぎ取って、様々なものが寄って来る。

今はそれがない。

 その意味では、差し迫った危機はないと思う。もちろん、それも「このひと月」とかの期間ではあるわけだが。