日刊早坂ノボル新聞

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◎一年前の振り返り (令和元年七月二十一日)

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令和元年七月二十一日撮影

◎一年前の振り返り (令和元年七月二十一日)

 昨年はことに酷い一年で、体調が酷く、幾度か救急センターの厄介になった。

 今年はやや落ち着いたので、改めて冷静な目で一年前を振り返ることにしている。

 

 この日は令和元年七月二十一日だ。当時も記事を書いたのだが、日時の記載を書き間違えていた。よほど動転していたらしい。

 夏場は「あの世」が割と穏やかな季節だ。ほとんど何も起きないのが普通で、あの世の住人が囁く「声」も聞こえない。

 世間では怪談のシーズンだが、実態は真逆で、幽霊が躍動するのは秋冬が本番だ。夏はむしろ穏やかな季節になる。

 そのことを知っていたので、私はお盆に郷里の墓に行く時に、真夜中に真っ暗な墓所を一人で訪れていた。夏は実家の商店が忙しく、仕事の手伝いが終わるのが十一時十二時になっていたからだ。

 

 ともあれ、すっかり油断して、何気なく赤外線カメラで撮影した。

 階段を降りたところで開いてみると、何やらもやもやと変なのが私の後ろに見える。

 そこで、もう一度階段を上り、神殿前で通常撮影をした。

 帰宅して、丁寧に点検すると、最初の赤外線カメラの画像に写っていたのは、化け物顔の「何か」だった。

 「これってこれでも幽霊なのか?どう見ても人間の姿ではない」

 さすがに、気持ちが萎える。

 しかし、その後分かったが、こんなのは序の口だった。「あの世」にはもっと「とんでもないヤツ」が隠れている。

 これまで語られて来たような死後の世界観など、実際には幼稚園レベルだった。

 

 気を取り直して、撮影した通常写真には、右隅に人影が写っている。

 老夫婦の姿だったが、私が立っていたのは、神殿と階段とのちょうど中間だった。

 そうなると、基本的に「この角度には人は立てない」筈だった。

 階段の上の先、すなわち空中になるか、あるいはその近くの板塀が写る位置だった。

 これも後になり分かったが、この夫婦の姿は、時々、画像の隅に残っている。

 死後もなお、二人一緒に彷徨っているわけだ。

 しかし、これもその後分かったが、「二人写っている」からと言って、そこに二体の幽霊がいたとは限らない。実体は一人で、もう一人はその幽霊が執着している願望だったりする。こういうケースでは、本物の幽霊が後ろの夫の方で、前の妻の方はその夫が創り出したイメージである可能性がある。写真でも妻の顔が消失しているように見える。

 幼い子を残して亡くなった母親は、多く子を抱いているのだが、しかし、その子の方は人形のように気配が無い。

 女児を殺した犯人は、自身が執着していた子どものことを掴んで離さない。

 その幼子や子どもは、独立した幽霊ではなく、元の母親なり犯人が創り出したものだと思う。

 

 死後も愛情を持ち、執着している場合には、こういうことが起きる可能性があるわけだが、まだはっきりしたことを言える段階にはない。

 この時も「気のせい」ではないことは確かなので、「遠くに居た人」ではないかと、幾度も検証した。しかし、結論は「見間違い」や「想像や妄想」では有り得ない、「説明のつかない」画像だということに落ち着いた。

 

 「幽界」はさすがにその名称のごとく、朧気(おぼろげ)だ。

 直接、目視できるケースはごく限られており、概ね0.1~0.2秒の間になる。

 たまに写真に写るのだが、これはカメラの感度が人間の目よりも高いことによる。

 要するに、幽界の波長域は可視範囲の境界線付近にある、ということだ。

 だが、そのことにより、「あの世」は精神世界の話ではなく、物理的な存在であることが示されている。

 「死後の世界」は実在しているが、「人には感知し難い」というだけだ。

 

 このことは同時に、特別な能力を持つ「霊能者」など「存在しない」ということの証明になる。総てが「想像や妄想」で、たまたまチラ見したか、多少視聴覚域が敏感だったか、あるいはただ信じ込んでいるだけということだ。

 物理的な存在である以上、技術的な調整を加えれば、誰の目でもそれを確認出来るようになる。