日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「死神」

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「死神」

◎「死神」

 「死神」という言葉を読むと、多くの人は西洋の「大鎌を持つ髑髏顔」を思い浮かべるようだ。

 だが、ここで言う「死神」は、単なる便宜的な言い回しだ。

これまでの信仰や宗教が語ってきたものとはかなり違うが、これは「死後の世界観」が違うためだ。

 その話を始めると、かなり長く掛かるから、これを省略し、「死期が迫った時に現われる『この世ならぬ由来の者』」という意味でこの言葉を使う。すなわち表現を簡略化出来るという単純な理由による。

 

 これまで繰り返し書いて来たように、光の加減によって、写真に「そこに居ない筈の人影」が写るのを発見した。それもほんの1年半前のことだ。

 日光(赤外線)の量と強さによって、「そこに居ない筈の人影」(以下、「幽霊」に)が写りやすくなる。

その典型的な撮影環境は、「直射日光の下で、ガラスに映る像を写す」というものだ。要するに、光が二重に交錯する(「二重露出・露光」ではない)局面の「いずれかの条件」で写り易くなる。

 また、夜中にフラッシュを焚いた時、等、光量や強さによって、写り易くなることがある。

 これは、肉眼ではほとんど見えないが、光の波長が可視域と不可視域にまたがっていることによるようだ。

 カメラの感知波長域は人間の眼より広いから、「カメラだけに写る」ことが頻繁に起きる。

 「幽霊」は境界線を行き来しているから、ほぼ同時に撮影しても、通常カメラと赤外線カメラの「いずれか」に写る。

 もちろん、「写る」と言っても朧(おぼろ)げだ。そこは文字通り「幽か」なものと言える。 

 

 さて、「死神」の件だが、ひとに死期が近付くと、周囲の幽霊が寄り集まって来る。

 いわゆる「お迎え」に近いものなのだ。

これも過去に幾度か経験しているが、過去の件については、幾度も書いたので、これも省略する。

 一例は、二人組で、朧げでも幽かでもなく、普通の人と変わりない様子で、外見上の違いはなかった。

 ただ、ひと目で「この世の者ではない」ことが分かる佇まいだった。

 

 今夏に体験したのは、そういう「お迎え」のような優しいヤツとは違う。

 たまたま、神社のガラスに映ったのだが、妖怪のような姿かたちをしていた。

 幽霊が数十体、数百体と同化・合体していくと、「人間の姿から離れて行く」ことを承知しており、また実際に目にしてもいたが、まさかこんなCGで作ったような怪物の姿をしているとは、想定の範囲外だった。

 画像には、そいつ(の周辺)が、私のことをがっちり掴まえている。その様子が映っていた。

 按配が悪いことに、それ以後、それと呼応するように体調が崩れて行く。

 椅子に座れなくなり、寝たり起きたりの状態になった。

 そうして、そうやって横になっている時に声が響いた。

 夜中の二時頃になると、「あと※日ぞよ」という女(老婆)の声で起こされるようになったのだ。

 

 そうなると、状況的に見て、誰でも「自分に死期が近付いている」と察する。

 カウントダウンはどんどん進み、ひと月後には「残り数日」になった。

 そこから先は、まさに小説や映画のような世界になる。

 その間、私は毎日、死者たちのためにご供養を施し、対話をしようとした。

 ひとりずつに話し掛けるから(返事は無い)、五時間六時間かかるし、お線香を数十本使った。

 

 しかし、まったく効果は無い。

 こういう時には、お経を唱えようが、祝詞を上げようが、さしたる効果は無い。

 悪霊なら念の力で追い払うことが出来る場合があるわけだが、「お迎え」に悪意があるわけでは無いからだ。

 この「死神」のかたちが醜いのは、ハイエナが醜いのと同じで、悪意によるものではない。

 死ぬと理性が無くなり、感情だけで動くようになる。心の状態が害権威反映されるから、幽霊は基本的に醜いしおぞましい。

 しかし、元々、ひとの心の中には嫉妬心や欲望が渦巻いており、それが外見にそのまま現われただけの話だ。

 

 ついに「あと三日ぞよ」が来て、私は従うことにした。

 「この後は仲間となり、死者の救済に務める」と祈願したのだ。

 それが奏功したのかどうかは分からないが、その日より、画像の異常が急減した。

 映画のような話だが、しかし、ドラマのように上手い展開にはならない。

 ほとぼりが冷めると、今度は従前以上に、異変が起きるようになっている。

 画像の鮮明さも増しており、ただ単に「そこに人がいた」ようにリアルに現われる。

 その都度、ご供養が必要だから、限られた時間のうち多くをご供養に費やすことになる。

 ま、それも自分が約束したことだ。不平は無い。

 

 改めて画像を開くと、「妖怪みたいなヤツ」の正体はいまだに分からないが、背後に少しだけ顔を覗かせている女の方は、「今は仲間」だと分かる。

 約束を守り続ける限り、私の味方でいるのではないかと思う。

 もちろん、気は抜けない。幽霊には、基本、思考能力が無いから、その時の感情でがらっと変わる。

 さて、この先はどうなって行くのか。

 新しい状況が次々と展開するから、先のことは皆目想像がつかない。

 

 ちなみに、これまでも指摘してきたが、ここに記載する記事については、拡散やツイートは避けたほうが無難だ。

 記事は興味本位ではなく、「あの世」の真実を知るために考究するものだ。

    また私は「常に死者の側に立つ」と宣言した通りだ。

 面白半分に扱うと、「死者に敬意を払う」という決まりに抵触する場合がある。

 通常、画像を見ただけでは何も起きないが、「面白可笑しく扱う」のは悪意に通じる。

 悪意は悪霊にとって最大のご馳走だ。

 「霊感の強い人」や自称「霊能者」と同じで、周りに幽霊が寄り集まって来るようになる。

 そういうのは、相手の生命力が弱ったと見るや、食いつく。

 すぐに何かが起きる可能性があるし、起きても私は助けない。

    助言できるのは「死者に敬意を払う」人だけになる。