




◎「曖昧さ」の排除(442日目)
画像に「説明のつかないもの」が映るのは、もはや当たり前のことになってしまったが、リアルに写れば写るほど、実物と区別がつき難くなる。
そういう曖昧さを排除するためには、きちんと物理的環境を捕捉して、「起こり得ない」かどうかを見定めることが必要になる。
所用で外出した折に、帰路、実地検証のために、神社に参拝することにした。
駐車場に入ってから、サイドボックスでメジャー(巻尺)を捜したのだが、いつも入れているのにどういうわけか見付からない。
そこで、ひとまずは大雑把だが目測で距離を捉えることにした。
いずれ、参拝客の少ない平日を見計らって、測量しようと思う。
日曜だが、既に5時に近くなっているので、周囲は少し薄暗い。
秋の到来を感じながら、神殿の階段の「上がり端」に立ち、ズームを使わずに前後を撮影した。
奉納箱までは16~18㍍、境内の入り口までは45㍍から50㍍くらいの距離だった。
いつもは望遠で見ているから、意外と距離間隔がずれている。
目的を達成したので、この日は帰ろうと歩き出した。
神殿前で撮影しても、曇り空の夕方だから、通常は何も写らない。
しかし、ここで思い出した。
「写そう」と考えたり、「写るな」と唱えると、何も写らないことが多いのだが、今日みたいに、無心で撮影すると、かなりの高確率で画像に異変が写るのだ。
「じゃあ、目測用の画像には、出ているのかもしれない」
駐車場で開いてみると、撮影条件が悪いのにも拘わらず、ガラスの前に出ていた。
これは11月6日の時と同じ。
いつもはガラスに映った像を撮影するのだが、ガラスの手前に立っている。
やはり顔だけで体はない。
詳細に見ると、母子のよう。いつも画像の隅に出る母子と同じ者たちだろうと思う。
この母子はなかなか先に進めないようだ。
ご供養を重ねて、きちんと送ってやりたいと思う。
追記)「後ろ向きの女性」は、実際には前を向いていました。
なお、写り方は「きちんと物理的法則に従っている」ことが分かります。
幽界は不可視域、不可聴域に「物理的に存在している」という説は、かなり有力だと思いますね。見え難く、聞こえ難いので、認識出来ないだけです。

