日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎何でもアリ(463)

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12月9日撮影

◎何でもアリ(463)

 月曜は終日「冬空」で、「薄曇り」というか「どんより」の言い方が適切だった。

 午後四時近くになってから、「行けそうな時には参拝しよう」と思い立ち、神社に向かった。幸い、そんなに遠いわけではないので、行き帰りで2時間半もあれば十分だ。

 境内はやはり薄暗くて、自分自身をガラス撮影するのは難しい。

 しかし、運転中に思いついたことがあり、それを実行してみることにした。

 「もし、赤外線ライトの光を自分に当てれば、それがガラスに映るのではなかろうか」

 要するに、「ライトの先を自分に向け、カメラは正面を向ける」というやり方だ。

 赤外線ライトは、常に車に常備してある。

 

 まずいつも通り、周囲の状況を撮影した。

 平日の夕方に近い時間帯なので、境内に人はまばらだ。七五三の祈祷を求める家族連れがいくらかいる程度。

 1)フラッシュなし、2)フラッシュ使用、3)フラッシュと赤外線ライト併用の順に撮影を試みた。

 最初の方では、異変の兆しは見えても、「鮮明さ」に欠ける画像となっていた。

 これでは、何の証拠にもならない。

 しかし、3)の併用撮影で得た画像には、階段を下りようとする「男の黒い影」が写っている。

 男の向こう側に、石碑が見えているので、「男の姿自体が半透明だった」ことを示す。

 よって、この人影は生きた人間のものではないと言える。

 配置が「石碑」→「男」→「ガラス」になっているので、男が実物ならその後ろの石碑は写らない。

 「なるほどね」

 ところが、これだけでなくオマケも付いていた。

 男の向こう側に、何となく「誰か」が立っているように見えるのだ。それが、どうも「髑髏顔」のように見える。

 「これじゃあ、T800か死神じゃあないか」

 ま、錯覚であることも多いが、こういう霧の中には、得体の知れぬヤツが潜んでいることを、経験的に知ってはいる。

 生きている者の常識など、何の助けにもならない。

 

 さて、この日は最初から最後まで、白い煙が写っていた。

 通常、日光にファインダを向けた時や、湿気の多い場所で撮影すると、「煙玉」状の丸い白煙が写るのだが、この日は両方とも欠けている。

 ファインダを地面に向けても、煙が写っていたので、大急ぎで神殿前に引き返し、もう一度祈願した。

 「健康と長寿、それに努力に見合った成果をお願いします」

 闇雲に祈願しても、さしたる意味も効果も無いのだが、あの世との接点が生じているかもしれぬ時は話が別だ。

 ま、努力した結果よりも多くの物を得ると、そのツケは死後に払うことになるから、「まずは本人が最大限に努力し、それがきちんと成果となって表れる」ことが望ましい。

 努力がそのまま結実することは必ずしも多くは無い。だから、そこが直接結び付いてくれるだけで十分だと思う。人事のことなら、本人の努力で勝ち取るべきものだし、それ以外に何を望むというのか。

 

 追記)帰宅したら、何だか足が痛い。平地を百㍍くらい歩いただけだったが、足指の裏はマメだらけで、表の方には猫が引っかいたような擦り傷が出来ていた。
 今朝、看護師に診て貰ったが、「動物に引っ掛かれたか、藪の中に裸足で入ったか」のような傷だとのこと。

 足先全体が黒く変わっているし、何だか嫌な感じだ。